じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
夕食後の散歩時に見かけた蔦のアート。月齢14.4の月明かりに照らされて神秘的な光景を創りだしていた。 |
【小さな話題】 夫婦の会話「あなたは 何型の趣味で生きているの?」 土曜日、夫婦の会話の中で、私が定年退職後にどういう生活をするのかが話題になった。 妻:あなたは、なにがたのしゅみでいきているの? と訊かれたので、 私:何型って何だ? まさか血液型性格判断に洗脳されたのではあるまいな。 と答えると、 妻:結婚して何十年にもなるのに、そんなもの信じるわけないでしょっ。 妻の質問は、 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 妻:あなたは、なにがたのしみでいきているの? であった。歳をとると耳も遠くなり、コミュニケーションにも支障が出てくるようになる。 将棋・三浦九段の出場停止処分に思う、「大相撲としての将棋」か「数学の未解決問題としての将棋」か 各種報道によれば、日本将棋連盟は、三浦弘行九段の年内の公式戦の出場停止処分を決めた。これにより、10月15日からの竜王戦挑戦者は丸山九段に変更された。 三浦九段が処分された経緯については、こちらに詳しく記されているが、一般に広まっていると思われるのは、
三浦九段が実際に何かをやってしまったのか、それとも、単に瞑想をするために離席していたのかは現時点では分からないが、三浦九段と言えば棋界でもトップレベルの実力者、私自身、3年前のNHK杯将棋の予想では最有力候補に挙げたほどである(←NHK杯将棋では対局中の一部始終が伝えられているので、スマホなどに頼ることはあり得ない)。三浦九段の実力から言ってもお人柄から言っても、将棋ソフトの手助けを受けなければならないという事情は考えにくい。いつも拝読しているこちらの方(10/13付け)にも全く同感である。 三浦九段個人の問題はさておき、将棋ソフトがここまで強くなってくると、人間同士が指す将棋としての面白さと、最善手の研究という知的興味の追究をどう切り分けるのかという別の問題が起こってくるように思う。 例えば力士型のロボットが開発されたとしても、大相撲で人間と対戦することはまずあるまい。横綱より遙かに強いロボットを作ることはできるが、それが人間の力士に勝ったからといって全く面白味はない。大相撲では土俵上の力や技だけでなく、それぞれの力士の日頃の努力やこころざしを含めて観戦するためである。 いっぽう、数学の難問を解決するにあたって、コンピュータを駆使することは全く問題にはされない。実際、私が高校生の頃にはまだ未解決問題として注目されていた四色定理などは、コンピュータを利用して証明に至ったと聞いている。コンピュータを使ってもよいとされるのは、この場合、人間の頭脳だけで解決できるかどうかということではなく、誰がどういう形で解決するにせよ、とにかく、それが証明できるのかどうか、できるとすればどういう解法で証明できるのかに関心が集まるからである。 将棋の対局の場合、人と人との対局という点では大相撲と似ているところもあるが、最善手を研究するという点では数学の定理の証明にそっくりなところがある。早い話、大盤解説など、将棋ソフトを駆使した最善手の紹介を取り入れたほうが面白くなる可能性もある。 人と人との対戦よりも、とにかく最善手がどうかということに魅力を感じる将棋ファンであれば、たまにミスが起こる人間同士の棋戦より、最強の将棋ソフトどうしの対戦のほうが知的興味を満たせるかもしれない。電子機器の持ち込みが禁止された状況のもとでの対局よりも、電子機器を自由に使えるという状況のもとでの対局のほうがより優れた棋譜になるなら、そちらのほうが好まれる可能性もある。こうした哲学的課題は、哲学者・糸谷哲郎氏によって解決されるものと期待される。 |