じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2016年11月23日の日記に記したように、文学部中庭の花壇は11月下旬から1月下旬までのあいだ、日中も建物の陰に覆われて日の当たらない日が続いていたが、そろそろ北側(左手)のほうから明け始めてきた。植物の生育に大きく影響するはず。

2017年1月28日(土)




【思ったこと】
170128(土)ACTの価値論(4)「望ましい」性質

 昨日に続いて、ハリス(2012)の第11章「何が大切かを知る」についての考察。
 321頁以下の「3つの要素」のうちの3番目は、「価値とは,継続的な行動に「望ましい」性質である。」とされていた。具体的には、
  • 価値は,自分はどのように行動することを望むか,自分にとって問題なのは何か,自分にとって大切なものは何か,ということを「言葉で表現したもの」のことである。
  • つまり,それは,あなたがすべきことでも,しなければならないことでもない(ACT のテキストでは「望ましい」ではなく「選択された(chosen) 」と言うことが多い。「選択された」という表現は,自分の行動にそのような性質を望んでいるだけでなく,その性質を意識的に選びとったことを強調している)。
というように特徴づけられていた。要するに、「望ましい」といっても「社会的に望ましい」というよりは、個人が望んでいるもの、選択しているものという意味が含まれているようである。

 もしそうであると、周囲の人々や社会に迷惑を及ぼすような行動でも価値に含まれる可能性がある。これについては、少しあとの「価値vs美徳,モラル,倫理」のところ(326頁)に、
  • 価値は,正誤,善悪を超えている。価値とは,自分にとって重要なものを言語化した,その表現にすぎないのだ。
  • 社会はそうした価値が良いか悪いかを判断し,「良い」価値は「美徳」と呼ばれる。
  • さらに,価値に基づいてどう行動するのが正しいか,どう行動するのが正しくないかをルールとして定め,もし私たちが「正しいやり方」で行勤しなかったら,「間違っている」と言ってくる。これが,人間にモラルや倫理,行動規範をもたらすのである。
と述べられており、さらに330頁では
...「もし自分のクライエントが,レイプしたいとか拷間したいとか,私が倫理的に賛成できない価値を持っていたらどうするか」という質問を受けることがある。簡単に答えるなら,「あなたの倫理観を曲げてまでセラピーに取り組む必要はない」。より丁寧に答えるとこうなる。「クライエントが,レイプ,拷問,殺人など,残酷な犯罪に手を染めた犯罪者だとしても,セラピストの努力次第で,強い信頼関係を築くことができる。また,幾重にも折り重なった硬く厚いフュージョンと回避の層を,下へ下へ、と掘り下げていくと,いずれ必ず,価値の中核を見つけることができる。そしてそれは,私たち自身のものとよく似ているはずだ。彼らが犯罪を行うとき,自分の価値に基づいてマインドフルに行動していることはまずありえない。ほとんどが衝動的な行動であるか,フュージョンや回避につき動かされての行動なのだ」
とあり、要するに、犯罪行為は自然に形成される価値ではなく、衝動的な行動、あるいはフュージョンや回避につき動かされたものであると解釈されていた。

 これはけっきょく、人間という生物が種の繁栄・存続のためにどういう方略を選んできたのかという、進化生物学的な「価値観」にもつながっているように見える。例えば、ある種類の動物は、オスが縄張りをつくり、侵入してきたライバルと戦う。その場合、ライバルを殺すことは、その種類の動物にとっては正当な行為となる。食べ物資源が限られている中では、ライバルと仲良く共存するということはありえない。しかし、人間の場合はそうではなく、集団で助け合って生き延びるという方略を選んできた。であるからして、ごく普通の環境で生育する限りにおいては、その人の望むことは、社会的に望ましいとされていることと相反しない。

 もっとも、個人が「望む」あるいは「選択する」というのは、習得性好子がどのように形成されるのかにかかっている。クライエントに質問を重ねて、どうにかこうにか価値を見つけ出すというのではなく、いかにして習得性好子を創り出し、その好子出現の随伴性のもとで強化されながら行動していくのかを確実にしていくことが大切ではないかと思う。

次回に続く。