じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 QBハウスの待ち人数検索をしていたところ、いつも利用している京山店の近くに新たにエブリイOkanaka津高店が誕生していることに気づいた。そう言えばイズミヤ閉店【写真右】以降、この場所に来たことが無かった。

 今回、散髪を兼ねて訪れてみたところ、建物概観はイズミヤ当時とそっくりであったが、内部は大幅に改装されており、QBハウスのほか、紀伊国屋書店なども出店していることが分かった。

 津高のあたりは、私が知っている範囲でも、大型食品スーパーが3軒(ディオ、グランドマート、ハローズ)、ホームセンターが2軒(ダイキ、ジュンテンドー)店を構えており、他店との競合が激しいようにも思える。今後どのように差別化をはかっていくのか注目される。

2017年5月13日(土)



【思ったこと】
170513(土)ボーム『行動主義を理解する』(5)実用主義(1)

 昨日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 本書(第二版の翻訳)の第2章では、実在論に続いて、チャ−ルズ・ピアス(1839-1914)やウイリアム・ジェームズ(1842-1910)が提唱した実用主義について詳しく解説されていた。論点を要約すると以下のようになる。【長谷川による改変。ゴシック体で表されていた部分は下線に変更。】
  • 科学的探究の力は、客観的な宇宙の作用の仕方についての真理を発見することにあるのではなく、 客観的な宇宙が私たちに何を行わせるのかということにある。
  • もしある疑問に解答しても、それによって科学が進展する方法が決して変わらなければ、その疑問自体が間違っているのであり、それは注目に値する疑問ではない。
  • 実用主義は、おおよそ真理とは説明力と同じであるとする。私たちが存在しないところでも実際の宇宙が存在するかどうかについての疑問が無意味であるなら、何らかの最終的で絶対的な真理が存在するかどうかという疑問も無意味である。
  • もしある考えが他の考えと比べて、私たちのより多くの経験を説明し、理解を促すのであれば、前者の考えの方が後者の考えよりもより真実である。
  • 私たちの経験のある部分から他の部分に私たちを首尾よく運んでくれる考えで、物事を満足のいく形で結び付け、しっかりと作用し、単純化し、負担を軽減してくれるような考えは、それだけで真実であり、その程度までは真実であり、手段として真実である。
  • 太陽と星が地球の周りを回っているという考えが説明したのは、それらの天体が天空を横断するということだけである。しかし、地球は、地軸を中心に回転しながら、太陽の周りを回っているという考えの方がより真実であると言えるのは、その考えが、なぜ季節の移り変わりがあるのかも説明しているからである。しかしながら、厳密に言えば、地球が実際に太陽の周りを回転しているかどうかは決してわからないだろう。
  • すべての科学的な理論は、実際のところ似たり寄ったりであると指摘した。経験のすべての事実を説明する理論が仮にあるとしても、ほとんどない。その代わり、ある現象をかなりうまく説明する理論もあれば、別な現象をうまく説明する理論もある。
 上記の中の天動説と地動説の例はしばしば引き合いに出される。いまの時代では、小学校の時から、天動説は間違っていて地動説が正しいというような教育を受けていることもあり、「地球が実際に太陽の周りを回転しているかどうかは決してわからないだろう。」と言われても、いやそんなことはわかっている、地球は太陽の周りを回っていると主張されるかもしれない。

 実際、ボイジャーのように地球から遙かに離れた場所から太陽系中心部を観察すれば、地球や水星、金星などはみな太陽の周りを回っていることが観測できるだろう。そういう意味では天動説は間違っており、地動説は正しいと言えるかもしれない。しかし、もともと天動説には、宇宙の中心は地球であるという考えがあった。これは正しいとか間違っているといった議論ではなく、地球を中心に天体の動きを計算し、恒星や惑星が天空のどこに現れるのかを予測していきましょうという、座標系の1つの選択に過ぎない。現に、天文年鑑などでは、「5月14日、月が土星の北3°4′を通過」といった記述があるが、地球のある場所を中心として、天空上での月と土星の見え方の位置関係を述べたものとしては真であると言える。いずれにせよ、万有引力の法則などと一貫性を保つ上では「地球は太陽の周りを回っている」というのは「より真実」と言えるが、太陽が宇宙の中心であるとは言えない。そもそも、何をもって中心とするのかというのは限りなく恣意的と言える。ビッグバンの中心はあったかもしれないが、現時点で、その場所がどこにあるのかと言われても、座標系をどう定めるのかによって見方は変わってくるだろう。これは、ヘリウムガスを詰め込んだ風船が空のどこかで破裂した場合と同じである。丸い風船の中心が破裂した瞬間にどこにあったのかは、地上をもとにした座標系では特定できる。しかし、地球の自転や公転、銀河系の中での太陽系の移動、さらには銀河集団間の動きまで拡張すると、風船の中心がどこにあったかということ意味はどうでもよくなってくる。もっと単純に、観測者から見て、どの方位の何メートルの高さで風船が割れたのかという情報のほうが遙かに役に立つ。

 次回に続く。