【思ったこと】 170517(水)ボーム『行動主義を理解する』(8)実用主義(5)
昨日に続いて、
ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.
の話題。
本書の40頁では、徹底的行動主義と方法論的行動主義が以下のように区別されていた。【長谷川による要約・改変】
- 徹底的行動主義は、内的世界と外的世界の二元論を受け入れずに、行動分析学という学問は、ひとつの世界とそのひとつの世界で見いだされる行動を扱う学問である、と考えている
- 方法論的行動主義は、実在論に基づいた見方である。実在論者である方法論的行動主義者は、客観的世界と主観的世界を区別した。彼らにとって科学は、客観的世界にのみ意味があるように思われた。
- 方法論的行動主義者にとって行動の科学が可能になる方法は、客観的な方法によってのみとなる。
- ...ほとんどの実験心理学者は方法論的行動主義者であると言えるだろう。彼らは、心、態度、人格といった内部の何かについて研究しているのだと主張する。...しかし実験心理学者は内的な世界を調べる方法を持っていない。そのため彼らは結局、表に現れている行動を客観的方法で研究する。このようなアプローチと方法論的行動主義の唯一の違いは、実験心理学者は内的な世界について推測するが、方法論的行動主義者はその推測をしないということである。...ワトソンを代表とする初期の行動主義者たちは、そのような推測を拒絶する。...行動主義は、人の公的な行動、つまり他者によって観察可能な行動だけを研究しているとか、行動主義は意識を否定していると言われたりするのは、
まさにそのような理由からである。
- 徹底的行動主義はそうではない。徹底的行動主義は、主観的世界と客観的世界を区別しない。徹底的行動主義は、方法に目を向けるよりも概念や用語に目を向ける。...【用語には】古いものもあれば新しいものもある。それらの有効性を評価しよう。そしてどの用語が節約的で包括的な記述であるのか、何度も何度も吟味しよう。
- 実在論に立つと行動を定義しにくくなるということが、徹底的行動主義が実在論を否定するもうひとつの理由である。行動を研究する場合、実在論の立場は、実際の世界に表れている何かしら本物の行動があると考える。...私たちの感覚によって知ることができるものは、それが道具を使って感覚されたものであろうと、直接的な観察によって感覚されたものであろうと、実際の世界、本当の世界についての感覚的なデータでしかない。本当の行動を直接知ることは決してないのである。
- 実用主義者(徹底的行動主義者)は、本当の行動というような考えを一切持たない。単に走者の行動を最も有効に記述する方法、マッハの用語を借りれば、最も節約的に記述する方法だけを問題にする。すなわち、最良の理解、あるいは最も包括的な記述を提供してくれる方法だけを問題にする。徹底的行動主義者が、走者が走るという理由、運動のためとか警察からの逃避といった理由を含めて活動を定義することを重視するのは、そのような理由からである。
- 活動の一貫した定義には、その活動の機能が含まれていなければならない。つまり行動に従事する理由も行動そのものの一部である。
- 徹底的行動主義は、行動について語るのに、最良の方法、最も有効な方法を問題とする。例えば、もしある人がオリンピックの出場資格を得るために競争しているということが有効であれば、オリンピックの出場資格のために競争しているというのが行動的事象になる。
- このように実用主義は、観察の仕方を強調するよりも、語り、用語、そして記述を強調する。これが、方法論的行動主義と徹底的行動主義の際立って異なる点のひとつである。
以上の引用のうち8.〜10.は、巨視的行動主義の立場を反映した内容となっているが、議論のあるところだろう。行動は機能的に定義されなければならないというのは徹底的行動主義者の共通の立場であるとは思うが、機能的定義と言っても、行動と直後の環境変化との関係の中で機能を考えるのか、中長期的視点の機能を考えるのかで立場は異なる。例えば、スキナーボックス内でネズミがレバーを押すという場合、前足で押しても、鼻先で押しても、シッポで押しても、レバー押しであることには変わりない。これは、「レバー押し」という反応を、形態的特徴(トポグラフィーによる特徴)ではなく、機能的に定義した例であり、このことはスキナーも言っている。しかし、そのレバー押しが、ペレット(餌)を獲得する行動であるのか、水を出すための行動であるのか、ショックから逃れるための行動であるのかは区別されない。(これらは強化の随伴性の枠組みで分類・記述される。)
また、Mooreは、
Moore, J. (2011). A review of Baum's review of conceptual foundations of radical behaviorism. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 95, 127-140.
の中で、ラクリンやボームは、徹底的行動主義ではなく方法論的行動主義者であり、ラクリン自身がそれを認めているとも述べている。上記5.の「徹底的行動主義は、主観的世界と客観的世界を区別しない。」についても、区別しないのではなく、主観的世界と呼ばれている私的出来事がどのようにして言語行動化したり、行動に影響を与えるのかを検討すべきであるという機能的文脈主義の立場も合わせて考慮する必要がありそう。
次回に続く。
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