じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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6月1日より、郵便葉書の料金が52円から62円に値上がりする。5月31日、出し忘れていた52円の葉書を投函した。今後ふたたび52円に戻る可能性は殆どないので、これが、私の人生で最後の52円葉書投函となる。
ちなみに、私自身が郵便物を投函するのは、年賀状を除けば月に1回程度。年賀状も定年退職を機会に、次年度から辞退をさせていただく予定。【年賀状自体は52円のままで値上げしないようだが。】 |
【思ったこと】 170531(水)ボーム『行動主義を理解する』(19)公的事象・私的事象・自然事象・架空事象(10)ラクリンの巨視的行動主義(4) 5月30日に続いて、 ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社. の話題。 翻訳書67頁以下では、ラクリンが私的事象を否定したことは必ずしも方法論的行動主義への回帰ではないと論じられている。【長谷川による改変あり。英文は第3版。】 ラクリンは、方法論的行動主義と挟を分かち、反二元論と実用主義の2つの理由で徹底的行動主義と手を組んだ。あらゆる徹底的行動主義者と同じように、彼は精神的虚構の存在を否定した。特に、精神的事象が行動の原因であるという見方を否定した。彼は、主観と客観の区別を問題にしない。その代わりに、自分の見方が本当であるということをその説明力(有効性)で見ているので、彼の考えは、実在論というよりはむしろ実用主義の伝統に属すると言える。彼は、私的事象の存在を否定もしないし肯定もしない。人々が語る巨視的な活動には、いつも多くの公的な行為が含まれるからである。実際、公的な行為がなければ、巨視的な活動について人々は決して語らないだろう。しかし、それは言語行動(verbal behavior)を考察するときのテーマとしよう。/Rachlin parts with methodological behaviorism and aligns himself with radical behaviorism on two grounds: antidualism and pragmatism. Like any radical behaviorist, he denies the existence of mental fictions, and especially mental causes of behavior. Since he never raises the subjective-objective distinction, instead measuring the truth of his view by its explanatory power (usefulness), his ideas belong in the tradition of pragmatism rather than realism. He need neither deny nor affirm the existence of private events because the categories of behavior that people talk about always include many public actions. Indeed, people would not talk about them if they did not―but that is a topic for a discussion of verbal behavior.上掲の中で、「人々が語る巨視的な活動には、いつも多くの公的な行為が含まれるからである。実際、公的な行為がなければ、巨視的な活動について人々は決して語らないだろう。」というのはその通りだと思うが、私的事象が公的な行為のみで「語り尽くせる」かどうかは何とも言えない。また、反二元論と実用主義という立場を守れば、それだけで徹底的行動主義と言えるのかどうかも疑問である。やはり、私的出来事をどう扱うかがカギになるように思われる。 何度か言及している、 Moore, J. (2011). A review of Baum's review of conceptual foundations of radical behaviorism. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 95, 127-140. の中でMoore【138頁】は、 ...Indeed, in response to a direct question from me, Rachlin (personal communication, April 7, 2000) once explicitly and unselfconsciously acknowledged that his position was nothing but methodological behaviorism. In Baum’s revision, I recommend he reconsider the implications for the methodological behaviorism inherent in his position.ラクリン自身が方法論的行動主義であると認めていると述べており、やはり議論が必要なところであろう。【なお、Mooreの上掲のコメント論文に対しては、ボームから更なる反論が寄せられている。】 次回に続く。 |