じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 台風21号は23日午前3時頃、静岡県御前崎市付近に上陸した。当初の予想よりも東寄りに進んだため、岡山への影響は限定的であり、最大瞬間風速は23.9メートル(10月22日22時17分)にとどまった。県北の奈義では広戸風により19時45分に最大瞬間風速45.7メートルを記録したが、その後、機器の故障なのか、データが欠落していた。なお、23日朝6時時点の72時間積算降水量は140.0ミリ。10月21日の午前09時台から続いていた毎時0.5ミリ以上の連続降水は、10月23日の午前00時台まで40時間にわたって継続した。

2017年10月22日(日)


【思ったこと】
171022(日)日本行動分析学会第35回年次大会(11)超高齢社会における行動分析学(9)巨視的視点(6)

 10月19日の続き。

 「活動」という巨視的概念を導入することは、単に簡潔な記述をめざすだけのものではない。

 まず、「活動」を構成する行動は、必ずしも個別に強化されなくても継続するという点である。とりわけ、目標達成のための手段的行動は個別に強化されなくても遂行されやすい。頂上を目ざして重い荷物を背負って山登りをしたり、優勝をめざして過酷な練習を重ねたり、というような行動は、苦痛をともなうばかりであり、個別の行動としては弱化されるはずである。しかし、それが目標達成をめざすための手段的な行動となった場合には、活動全体のなかで、目標への接近という「好子出現による随伴性」と、行動を怠るという嫌子を回避するための「嫌子出現阻止の随伴性」によって巨視的に強化されるのである。

 もっとも、「活動」は必ずしも目標志向的である必要はない。「地球環境を守る活動」、「ボランティア活動」、「健康増進活動」などは、具体的な数値目標なしでも遂行される。また、目標が設定されているからといって、それが活動全体を目的化しているとは限らない場合もある。例えば、金メダルを目標に掲げて過酷な練習に励む選手にとっては当該のスポーツ活動は目的的であるように見えるが、めでたく金メダルを獲得しても直ちに引退というケースは稀であり、次のオリンピックで二連覇を目ざすとか、世界記録の更新をめざすといった新たな目標が設定され活動が続けられる。さらに、現役引退後には、監督や解説者といった別の行動に取り替えて活動を続ける場合も少なくない。「活動」の中には目標が明示され目標への接近が強化的に働く場合ももちろんあるが、目的的であることは必ずしも「活動」の必要条件にはならない。

 このあたりに関しては、最近、ラクリンの著書が刊行されたところでもあり、もう少し論点を整理する必要があるが、現時点での私自身の考えは、以下の通り。
  • 目的が先にあって活動が起こるものではない。
  • さまざまな行動は、当初はバラバラに起こっていたとしても、包括的にみて適応的であるように自然に選択され、究極的には目的志向的に見えるような方向性を持つことが多い【←方向性が絶対に生じるというわけではないが。】
  • ディープラーニングの知見は、活動概念の精緻化に有用であろう。


 「活動」概念の2番目の意義は、スキナーの言う「生産物からの疎外」や、ミルの「高級な喜び」、マズローの「自己実現欲求」などを、個々の行動の質ではなく、活動の性質として捉えるという点にある。スキナーは、来日の際の講演の中で、産業革命により労働者の仕事は細分化され「生産物から疎外されてしまった」と指摘している。この疎外とは、何かを造り上げるためのひとまとまりの活動が賃金によってのみ強化されるような個々バラバラの工程に分断されてしまったことを意味している。「行動がもたらす自然の結果」とは、個々の行動の直後に随伴する結果ではなく、ひとまとまりの行動の連携のもとで段階的にもたらされる完成や達成といった包括的な活動の結果にこそ重きを置くべきであろう。ミルの「高級な喜び」やマズローの「自己実現欲求」も、個々バラバラな行動のうちのどこかに見出されるのではなく、複数の行動がどういうまとまりを構成するのかという点で評価されるべきである。伝統文化の中の1つの動作などは、それだけを個別に取り出しても大した意義は見出せない。全体の連関の中で位置づけることで初めて意義づけられるのである。

 次回に続く。