じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 11月7日の朝、岡山市内は霧に包まれた。半田山では8時過ぎまで霧がかかっていた(写真下)。

2017年11月7日(火)


【思ったこと】
171107(火)五木寛之『孤独のすすめ』(1)

 昨日の日記

五木寛之(2017)『孤独のすすめ 人生後半の生き方』中央公論社

の「下山論」についてふれた。これを機会に、この本で述べられているいくつかのお考えについて感想を述べさせていただくことにしたい。

 まず、上記の本のタイトルと中身はミスマッチではないかという気がする。確かに「はじめに」のところでは、メディアなどで推奨されている高齢者のライフスタイル(他人とのコミュニケーション、集団レクリエーション参加など)に対して懐疑的な見方が示されており、
  • 弱っている人や衰えている人に「積極的になれ」「前向きにポジティブに生きろ」などというのは、むしろ残酷なことではないかと思ってしまう。
  • むしろそういった励ましは、「自分はこんなふうになれない」と、ますます自己嫌悪に拍車をかける要因になりかねない。
  • だとすれば、後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみながら、思い出を咀嚼したほうがよほどいい。回想は誰にも迷惑をかけないし、お金もかからない。繰り返し昔の楽しかりし日を回想し、それを習慣にする。はたからは何もしていないように見えても、それは実は非常にアクティブな時間ではないか。
  • 孤独を楽しみながらの人生は決して捨てたものではない。それどころか、つきせぬ歓びに満ちた生き生きした時間でもある。
と論じられている【長谷川による要約引用】。

 ここまでの記述は大いに興味が持てるのだが、そのあとの章は必ずしも「孤独のすすめ」や個人レベルでの「人生後半の生き方」について書かれたものではなく、どちらかと言えば、現代日本における高齢者の社会的役割を論じたような内容になっていた。

 それもそのはず。巻末のところには、この本は2015年に刊行された『嫌老社会を超えて』(中央公論社)を再構成し、大幅加筆した上で書き下ろし原稿を追加したと記されている。再構成がなされたと言え、全体としては、五木氏が懸念されている「嫌老社会」を防ぐために、高齢者はどういう役割を果たすべきかといった内容になっている点は変わりがないようだ。

次回に続く。