じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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教育学部構内に咲く子福桜(コブクザクラ)。この時期は黄葉との対比が美しい。 |
【思ったこと】 171115(水)五木寛之『孤独のすすめ』(8)日本「下山」論 11月14日の続き。 第2章は、“「下山」の醍醐味”というタイトルのもと、精神的・身体的衰えを受け入れた上でどのようなライフスタイルを構築するかといった話題が取り上げられていた。テレビ番組に出演されている五木さんは85歳とは思えないほど健康に見えるが、本書によると、嚥下が苦手になったり、変形性股関節症と診断されたりするなど、身体のあちこちで衰えが生じているという。私はまだ65歳なので今のところ基本的に健康であるが、先月の免許証更新の際に視力検査で1回目不合格になったり、今年の職員定期健診のバリウム検査で異状を指摘されるなど、次第に故障箇所が増えつつある。もう少し歳をとると、おそらく、歯が抜け落ちたり歯槽膿漏が悪化したりといった歯科的困難に直面するであろうし、股関節で異状が生じるようになればウォーキングやトレッキングを断念せざるをえなくなり、ライフスタイルを大幅に修正せざるを得なくなる。といって、先のことをくよくよ考えていても何も解決しない。現状が続く限りは、その中で、今しかできないことに全力で取り組むほかはあるまい。 第2章では続いて、歴史を「登山」にたとえれば、という話題が取り上げられている。五木さんは、日本は、すでに戦後という坂を登りきって頂点を極めており、いまは下山の時代に移行しているという見方をしておられるが、私はそこまでネガティブには捉えていない。確かに、日本が生産活動の面で貢献できる範囲は限られているし、これまで経済を牽引してきた自動車産業も、電気自動車化によって他国にシェアを奪われていくとは思う。しかし、経済のグローバル化が進み、かつゲーム理論的な意味での平和的な均衡が続く限りにおいては、いまのレベルでの経済的地位は保っていけそうな気がする。もちろん、そのためにはグローバル化が新興国の人たちの生活向上にも繋がるような関係を保つ必要があり、さらにそれを維持するためには、知的資産や先進的な技術を守り発展させられるような教育・研究システムを構築していく必要がある。 五木さんはさらに、下山の先進国として、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガル、イギリスなどを挙げておられた。私自身は、ギリシャを旅行したことがあるが、大昔のギリシャ文明には敬服するとしても、いまのギリシャ人の日常生活から学ぶことはあまり無さそうな気がした。また、日本の場合は、アジアの、経済発展著しい近隣諸国との戦略的互恵関係を保つ必要があり、その一方で常に競争的環境にも晒されており、そう簡単には下山を開始できないという事情もある。少なくともアジアが全体として、持続可能な循環社会として安定するまでは、もう少し頑張る必要があるのではないかと思われる。 次回に続く。 |