じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 4学期制が実施されている岡大では、11月16日が木曜日の授業の最終回となった(木曜日は来週が勤労感謝の日の祝日となるため、一週間早く終了。) 大講義室(260名前後収容)で担当していた教養教育科目は、この日をもって終了。4学期に担当する授業はこの教室の半分ほどの大きさになる。
 なお、私の授業に限らないが、4学期制導入以降、1学期と3学期に受講生が殺到し、逆に、2学期と4学期の受講生が半減するといった現象が生じている。単位を確保する必要から、かつての前期制のうちの前半(=1学期)と後期の前半(=3学期)にできるだけたくさんの科目を受講しようという学生が増えているためと思われる。
 従来、16回で2単位となっていた科目が、8回で1単位ずつに分割されたことによって、多様な科目を受講できる機会が増えた反面、授業が細切れ化して、まとまりをもった体系的な講義をじっくりと聴いてもらうことができなくなるというデメリットも生じている。

2017年11月16日(木)


【思ったこと】
171116(木)五木寛之『孤独のすすめ』(9)人生の「下山」

 11月15日の続き。

 68頁からは人生の「下山」という話題が取り上げられている。インドのヒンズー教には、人生を4つの「時期」に分ける考え方があり、それぞれ「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、「林住期(りんじゅうき)」、「遊行期(ゆぎょうき)」と呼ばれているという。五木さんは、後半の二期は「下山」を意識すべき年代であり、現代日本人ではだいたい五十歳がその分水嶺にあたっているとしている。でもって、「林住期」というのは、実社会からリタイアし、家も家族も捨てて独り林に住むという時期にあたり、さらに「遊行期」では、林さえも離れて、定住地を持たずにガンジスの岸に向かって放浪するということだが、うーむ、文字通りに受け止める限りにおいては、これが格好の教科書になるとは思えない。現実にそのような道を選ぼうとすると路上生活者にならざるを得ないが、現実のホームレス生活はずっと過酷である。もっとも、精神的な意味で、実社会のさまざまなしがらみから抜け出すことはある程度できるようには思う。私自身の考えている「隠居」生活もそれに近いライフスタイルを想定している。

 五木さんによれば、人生のクライマックスは、「遊行期」の1つ手前の「林住期」、すなわち50歳から75歳までの間にあるという。このことには私も同意できる。私の場合は65歳に達しているので残りはあと10年となる。健康状態や老化の度合いを勘案すると、どう考えても、自分がやりたいことを無理なく遂行できるのは残り10年が限度であり、それ以降は身体が不自由になったり、慢性的な疾患とつき合いながら、毎日、大半を自室で過ごし、可能であれば1時間ほど散歩に出かけるというライフスタイルに移行せざるをえない。健康増進活動は続けるとしても、いつまでもピンピン動けるわけではないことを自覚しておく必要がある。

 次回に続く。