じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 180321(水)第23回人間行動分析研究会(9)徹底的行動主義とは何だったのか?(5)文脈って何だ?(3)スキル習得と遂行の違い 3月20日の続き。 時間が限られていたこともり、話題提供の際には殆どふれることができなかったが、「文脈」については「習得と遂行」という観点からも考えてみる必要がある。 いっぱんにスキルの習得は文脈フリーであるように見える。例えば、日本で自動車の運転免許をとった人は、アメリカに行っても、それほど苦労せずに車を運転することができる。つまり運転スキルには、かなりの面で文脈フリーという特徴があるように見える。 いっぽう、同じ人であっても運転スタイルは交通状況によって大きく変わる。高速道路と、車の往来の激しい街中と、カーブの多い山岳道路では運転のしかたは大きく変わる。さらに、スピード違反の取締をしているという情報があると制限速度を守り、取締区間をすぎるとスピードを出したりする。さらに、移動手段として車をつかうか、公共交通機関を使うかといった選択もある。このように、遂行としての運転は文脈に大きく依存している。 スマホの操作についても同じようなことが言える。新しいスマホに買い換えた場合でも、それほど苦労せずに操作を続けることができるので文脈フリーと言える。。いっぽう、スマホをどこでどのように使うのかというのは、時と場所という文脈に依存している。 以上のような経験的事実からみると、「スキルの習得は文脈フリー、実際の遂行は文脈依存」であるように見えるが、これは必ずしも正確な分析とは言えない。 もともとスキルというのは、いくつかの行動連鎖(動作の複合やシークエンス)から構成されている。ある反応が生じること自体が次に生じる反応の弁別刺激として機能する。この連鎖部分は、外部環境とは独立しているので文脈フリーのように見えてしまう。ちなみに、アメリカで車を運転する時には、左ハンドル、右側通行、といった異なる文脈が与えられる。これらは異なる弁別刺激を必要とするので、しっかりと習熟しなければならない。 歩行者が道路を横断する時も同様であり、日本人はどうしても、まず右側を見て、右から車が接近していないことを確認してから道路を渡り始め、次に左側を見て、左側から車が接近していないことを確認してから渡り終えようとする。このスキルを、車が右側を通る国でそのまま適用すると渡り始めた瞬間に車にはねられる恐れがある。いっぽう、交通信号の赤や青は万国共通なので、信号が青の時に横断歩道を渡るということに関しては文脈フリーと言える。 ということで、「スキルの習得は文脈フリー、実際の遂行は文脈依存」というのは必ずしも正確ではない。行動連鎖のように、弁別刺激が固定されている場合はフリーであるように見えるだけである。このほか文脈の影響を受けやすい状況でも、行動が容易に般化する場合は、文脈フリーであるように見えることがある。 次回に続く。 |