じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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岡大では、毎月22日前後に、スワンスワン協賛の学内巡回が行われており、私も何度か参加したことがあったが、3月22日はいよいよ、定年退職前の最後の機会となった。 座主川沿い遊歩道を廻ったところ、まず、座主川右岸・文化科学総合研究棟南の川べりで、白髪の教職員1名が左手にタバコ、右手でスマホを持って通話をしていた。もっともタバコには火をつけておらず、私たちが近づいたため、タバコに火をつけずに総合研究棟のほうに戻られた。さらに西に進むと、座主川左岸・レオパレス東側の敷地内で2名の男性が喫煙をしていた。うち1名は私たちが近づく前に立ち去り、残りの1名(外国人)には、私のほうから「No smoking, here!」と呼びかけた。なお、レオパレスとの境界には金属の飲料缶3本が置かれており、中に大量の吸い殻が詰め込まれていた。このあたりを勝手に私設喫煙所にして、違反喫煙を繰り返している者が複数いるようだ。 その後、座主川沿いを教育学部南まで巡回したが、私たちの姿が見えたせいか、違反喫煙者は1名も確認できなかった。しかしながら、座主川北側の小水路には複数の吸い殻が浮いているなど、各所で自己責任能力を失ったニコチン依存者たちの、どうしようもない傍若無人ぶりが目についた。 |
【思ったこと】 180322(木)第23回人間行動分析研究会(10)徹底的行動主義とは何だったのか?(6)文脈って何だ?(4)弁別と文脈 3月21日の続き。 これまで述べてきたように、文脈と弁別刺激との間には絶対的な区別はない。
ちなみに、長谷川版・行動分析学入門の中では、弁別刺激(好子出現による強化の場合)は、 刺激Aが提示された場合(もしくは、存在する場合)と呈示されない場合(もし は存在しない場合)において、というように定義しているが、この「刺激A」というのは、呈示者(実験者、支援者、動物の訓練者など)が好き勝手に決めてよいというものではない。長谷川版の「3.7.5. 弁別における手続的定義と制御変数的定義」のところでも述べているように、当事者(行為遂行者、被験体)は、「刺激A」の一部の特徴を利用するかもしれないし、「刺激A」を含む複合的な刺激全体を手がかりとするかもしれない。通常、「刺激A」以外の部分をすべて把握することはできないので、これらの複合体が「文脈」と呼ばれることになる。 (厳密に実験的に統制されているような場面は別として)日常生活行動における弁別行動というのは、「弁別刺激+文脈」を手がかりとして行動することである。このうちの「弁別刺激」部分は制御変数的に定義されるべきであり、「文脈」部分は「同じ文脈か、異なる文脈か」というように大ざっぱに区別されるべき、と考えるのが妥当かと思う。 交通信号の「青」←「青」が普遍的に「進んでよい」という行動の弁別刺激になっているわけではない。 次回に続く。 |