【思ったこと】 180326(月)来年度はどうなる? 岡大の喫煙対策
上にも述べたように、3月26日、本年度最後の津島地区安全衛生委員会に出席した。会議の中で喫煙対策について意見を述べる機会があったので、以下の2点について発言させていただいた。
- これまで提案されている改革案の中では、近隣住民からの苦情やポイ捨てが主要な問題であるかのように取り上げられているが、一番重要な問題は、教職員の健康問題である。ニコチン依存の職員は喫煙をするために数時間おきに離席をしており、職場全体の生産性を低下させている。離席をしても仕事量は減らないので、離席時間分だけ残業が増え、帰宅時間が遅くなり健康を悪化させる恐れがある。教員においても、長時間会議の途中で離席したり、センター試験監督のように長時間拘束される用務において、ニコチン依存は業務の遂行を妨げている。さらに、喫煙から戻った教職員は肺の中にタバコの煙をいっぱい溜め込んでおり、それを排出することで受動喫煙の被害を及ぼしている。これらを解決することが最も重要な問題である。
なお敢えて発言は控えたが、こうした問題について、いまの職場は寛容すぎる傾向、あるいは職員同士をかばい合う傾向がある。離席や隠れ喫煙に対してもっと厳しく対処する必要がある。
- 提案の中で、多様性という言葉が使われている。いろいろな意見を聞きましょうという程度の意味ならよいが、「多様性の尊重」という考えを喫煙問題に持ち込むことは大きな間違いである。この点については、今回配布の資料をぜひお読みいただきたい。【3月9日の意見を以下に再掲。】
(2)ご提案の中に「多様性(喫煙者・非喫煙者、男女比、教員・事務系等職員、専門家)の確保」という文言がありますが、喫煙対策問題に「多様性」を持ち込むことは、根本的に間違っています。多様性というのは、さまざまな違いを尊重して受け入れるという意味に使われます。男女や人種、民族のように生まれながらにして決定されている違い、あるいは文化や宗教などで形成される様々な価値観の違いを尊重することは当然のことでありますが、喫煙者と非喫煙者の違いはこれには該当しません。喫煙者と言われている人たちは、もともとは非喫煙者であって、何らかの経緯によりニコチン依存に陥っている人たちのことです。喫煙・非喫煙について「さまざまな違いを尊重して受け入れる」というのは、喫煙依存習慣を固定化し、喫煙の有害性や依存性に目を向けずに「喫煙=価値観、権利」と位置づけ、それを根拠に分煙化で対立の解消をはかろうとするタバコ業界の論理です。この間違ったロジックが成り立つなら、「交通安全対策を議論するためには、交通違反者や事故経験者、暴走族なども含め、男女比も配慮した構成をはかるべきだ」という的外れなロジックも認めることになってしまいます。交通安全対策のWGを作るなら交通安全の専門家が主体となるべきであり、防火対策のWGを作るなら消防の専門家が主体となるべきです。同じ理由で、喫煙対策のWGは、禁煙支援の専門家が主体とならなければなりません。
学内では依然として、喫煙対策への抵抗勢力が一定の影響力を持っており、学長交代や事務方の幹部の交代の機会を利用して、喫煙対策の緩和を画策している。といっても、「不便だから喫煙所を作ってください」とは言えないので、近隣住民からの苦情やポイ捨てへの対処という口実のもとに、「暫定的に」喫煙所を復活させようと考えているようだ。理念も何も無いので、「暫定的」といったところで期限は明示されない。「禁煙指導室」というような名目で喫煙所を作ろうとする提案もあったが、誰が何を指導するのかさえ明らかにされていない。喫煙所復活の提案に対して喫煙対策WGで批判的な意見が続出すると、今度はWGの構成を変えて、喫煙所容認派主体のWGを別に作ろうとする。今回も、WG改組について学内から意見を募集していたものの、最終的には委員長一任という形で乗り切ろうとしている。
会議終了後にも半ば冗談でスタッフの方々に申し上げたところであるが、今年度に入ってからの一連の動きは、喫煙所復活勢力のシナリオ通りに進んでいるようにも見える。「岡山大学における喫煙所復活の陰謀」という実名入り小説の格好のネタになりそうだ。もっとも実際に喫煙所復活などということになれば、内部的には一部のニコチン依存管理職を満足させるかもしれないが、全国レベルでは笑いものにされるだけだろう。
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