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昨日に続いて、ネガフィルムのデジタル化。今回は1980年9月頃に撮影した世田谷・松陰神社の写真。いちばん下は、直近で参拝した2015年5月撮影の比較写真。 神社やお寺の風景は何十年経ってもそれほど変わらないのが普通だが、松陰神社の場合は大河ドラマなどの影響もあるのか、私の子ども時代に比べると遙かに賑わっているように見える。 なお、昭和30年代のアルバムの中にも松陰神社の写真があり、いずれデジタル化する予定。 |
【小さな話題】 三三七拍子による応援の起源と三三七拍子自体の起源 6月13日に続いて、NHK「チコちゃんに叱られる!」の話題。6月14日の第10回放送では、 ●なぜ応援は「三三七拍子」なのか? という疑問が取り上げられていた。 この疑問については少なくとも、
番組ではこのうち1.について、明治大学応援団の初代団長、相馬基が始めたという説を紹介していた。明治大学応援団は大正10年に創設。早稲田大学との大学対抗試合で 「勝った方がいい、勝ったほうがいい、勝った方がいいったら勝った方がいい」 というかけ声に合わせて手拍子で応援していたが、その後、手拍子のみのスタイルとなり、東京六大学野球ブームの中で日本中に広まったという説であった。 応援風景だけに限って言えば、大勢で観戦するスポーツがいつ頃から始まったのか、その中でどういう応援が行われていたのかを調べれば、三三七拍子の起源も分かってくる。少なくとも野球の応援スタイルとして三三七拍子を取り入れたのが相馬基であることは間違いないと思う。 いっぽう、上記の2.や3.の疑問については諸説あるようだ。番組では、
あくまで私の素人判断になるが、間を取り入れた「4・4・8拍子」(「♪♪♪間、♪♪♪間、♪♪♪♪♪♪♪間」)というのは、童謡でも広く見られるように思われる。例えば、「ちょうちょ」の出だしは、 ちょうちょ(間) ちょうちょ(間) なのはに とまれ(間) となっているし、チューリップの歌も さいた(間) さいた(間) チューリップのはなが(間) ならんだ(間) ならんだ(間) あか しろ きいろ(間) というようにいずれも三三七拍子になっているように思う。 これも私の素人判断であるが、三三七拍子というのは、一連の動作の区切りとしても分かりやすいように思う。いっぱんに間を含んだ4拍子というのは、行進や体操の音楽の基本となるが、4拍子を繰り返すよりは、「4・4・8」を1つの単位として繰り返したほうが合わせやすくなるし、単調さが無くなる。4拍子だけで「パチ、パチ、パチ、間」としていると、止める号令もかけにくいしそのタイミングに合わせて叩くのを止めるのも難しい。 このほか日本古来の風習とされる「一本締め」や「三本締め」のような手締めや、拍手との関係についても調べておく必要があるように思う。 |