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秋のチベット旅行に関連して4トラベルにポタラ宮のクチコミを投稿した。見学した時期はまだ暖かく、宮殿の周りにいろいろな花が咲いていた。写真は、出口階段の途中で見かけたテンニンギク。岡大西門西側の花壇にも同じ花が繁殖している(←ボランティアの世話人がいなくなったので雑草が繁茂しつつあるが。) |
【連載】 関係反応と関係フレームをどう説明するか(8)刺激機能をめぐる引用メモ 昨日に続いて、関連書の中から重要と思われる部分をメモしておく。今回は、刺激の機能に関して。これまで読んだ文献の中で特に印象の残っているのはトールネケ(2013、96〜97頁)以下の記述である。【箇条書きに改変。一部略】
同じ頁にはもう1つ、明かりの例が記されている。【箇条書きに改変。一部略】
ここで強調したい点は,刺激が有する機能とは,刺激に本質的に備えられた性質ではない,ということである。その機能は,より幅広い状況(文脈)と個人の反応についての分析を通じてしか,決定することができない。同じ刺激でも,異なる刺激機能を有することも可能である。同じ刺激が,生体の行動に対して,さまぎまな仕方で影響を与え得る。その効果は,第一に,どの生体がかかわっているのかによって決まる。これは,その生体の固有の学習履歴が影響するためである。そして,第二に,刺激が生じたその文脈によって決まる。 「刺激機能」を重視する考え方の背景には徹底的行動主義がある。トールネケ(2013)の序文で翻訳書監修者の山本氏は次のように述べている。 行動分析学の基本は,「事実」を機能分折する上で,必要十分な概念的枠組みのみを用いる点にある。それが,こりかたまった閉じた体系や形式にならないのは,概念的枠組みが,常に「環境との接触(アクセス)」を前提としているからである。環境と個人との相互作用。ここでは,「文脈」と呼んでいる。また、少し後のところでは、 では,「心の問題」をRFTではどのように扱うのか? 他の行動と同じように,機能の観点から「私的出来事」として扱う。私的出来事の代表である「思考」は,本書で述べられているような様々な言語行動が,機能をそのままにした上で,徐々にその音声強度を減らしていく過程で生じる行動である。「心」というとその「内容」に目が向く。私的出来事というと「機能」に焦点を当てることができる。要するに、環境と個人との相互作用を記述するにあたって、個人側の言葉で述べると、どうしても「心の内面」に注意が向いてしまう。相互作用として確実に捉えられる部分を特定し、関与する要因を明記するためには、「刺激機能」という視点のほうがメリットが大きいと考えるべきなのであろう。 不定期ながら次回に続く。 |