じぶん更新日記・隠居の日々1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
中国・チベット側から見たチョモランマと、ネパール側のマウンテンフライト機上から見たエベレスト(サガルマータ)。2018年は、世界一高い山を北側と南側の両方から眺める機会に恵まれた。 |
【小さな話題】 新年の抱負 隠居生活に入って最初のお正月を迎えた。昨年は定年退職前でドタバタしていたが、今年はすでに隠居生活9ヶ月を経過し、退職後にできることとできないことが分かりかけてきたように思う。 まずはっきり言えるのは、隠居生活に入って時間がたっぷりあるように見えても、その中でできることはきわめて限られているという点である。 現役時代は、そのうちヒマができたらやろうと思っていたことは全部、退職後に先延ばししていたが、隠居人となった今、これ以上延ばすことのできる時期はない。あるとすれば「死ぬまでにはやっておこう」という人生最後の締め切りのみである。 先延ばしができないことから、死ぬまでの限られた時間を無駄に過ごしたくないという気持ちがある。例えば、ネットで提供されている単純なゲームなどは、脳トレとして有用でない限りは遊ぶ気になれない。テレビ番組も食事時以外では殆ど視なくなった。 そう言えば、だいぶ昔、中古のリクライニングチェアや、ベランダで昼寝ができるような折りたたみ式の長椅子を買ったが、定年後に時間的ゆとりができたにも関わらず一度も座ったことはない。せっかちな私は、どうやら死ぬまで、駆け込み型のライフスタイル、つまり、できることがあれば、できるうちにそれを優先してやっておこうとするタイプのようである。 隠居生活の指針としては、ハリスの『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』(岩下慶一訳)の指摘が大いに役に立つように思う【こちらに関連記事あり。翻訳書で「目的」、「目標」と訳されていた部分は「ゴール」に置き換えた。】、 価値とゴールを混同しないことは大切だ。価値は私たちが目指す方向であり、終わりのない進化のプロセスだ。愛に満ちた気遣いのあるパートナーになることは価値のひとつだ。それはあなたの人生における終わることのないプロセスだろう。愛と気遣いを止めた瞬間、もはやその価値に沿っては生きていけないことになる。上掲では「価値」の中身については何も示されていないし、私自身、あまり深く考えたことはない。人によっては、他の人の役に立つことを重んじる人もいれば、宗教の教義に結びつける人もいるが、どちらも私の性には合わない。他者の迷惑にならない限りは、何をすべきかという絶対的な基準は存在しないと考えている。 ちなみに、私自身は、何かを「信じる」ことを素晴らしいとは思っていない。確かに、何かの教義を信じれば迷いが無くなって前向きな生き方ができるだろうし、成功を信じることで大きな困難を克服できることもある。しかしその反面、「信じる」ことによって、いろいろな可能性についてあれこれと多角的に考えたり疑ったりする努力が放棄され、思考が停止される恐れもある。極端に疑い深くなってしまうと前に進めないが、今年の干支のイノシシのような猪突猛進型の人生は私には合わない。 いずれにせよ、加齢にともないできることは限られてくることから、SOCの流れに沿って、価値との接触を保っていくことが必要になるかと思う。要するに、
が基本になりそうだ。とはいえ、何でもかんでもできるうちにやっておこうとして欲張ると、何もかも中途半端なうちにできなくなってしまう恐れがある。これこそ価値とゴールの取り違えになる。そうではなくて、 ●できる時にできることをするが、ノルマは設定しない。無理をしない範囲で取り組めばそれでいい。 と割り切って前に進むことが大切かもしれない。例えば海外旅行に関して言えば、あと1回は、5000メートル以上の高地を回ってみたいとは思っているが、仮にそういうツアーが催行されなくなって来年以降に先延ばしされ、先延ばしされているうちに加齢が進んで参加できなくなったとしても、それはそれで良しとするのである。このほか、旅行先としては、ハードな旅行(高所、登山、長時間の歩行など)から陸路バス旅行などに切り替えることで、健康寿命に合わせたソフトランディングをはかっていく。そして体力が衰えたり病気になったりして旅行ができなくなった時には、バーチャルツアーや旅行アルバムの整理など、まだできることを探してそれに取り組むのである。以上は、旅行以外の行動にも当てはまる。 これまでの私の健康状態状態からみて、実際に体が不自由になりそうな年齢は、健康寿命は19年後の85歳頃(但し海外旅行に出かけたり、自分で車を運転できる年齢は70歳まで)を想定しているが、もっと早く動けなくなった場合も、それはそれとして覚悟しておかなければなるまい。もともと、人間のからだは時期がくれば生命活動が終わるように作られているのであって、そのことをあれこれ考えてもしようが無い。また、その時期が早まるか延期されるのかは、種々の要因や偶然によって変わってくるわけで、最大限健康寿命延伸のために努力するとしても、努力だけで変えられない部分についてはそれを受け入れるほかはあるまい。 ということで今年1年は、「できるうちにやっておこう」という駆け込み型の活動を増やしつつも、無理をせず価値との接触を続け、それができなくなる時期がやってきたときは、その症状の内容に合わせて最善の対応をとりながらSOCに徹する覚悟である。 |