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【連載】 関係反応と関係フレームをどう説明するか(11)「関係反応」と「関係」(3) 12月29日の続き。 これまで述べてきたように、モノや事象は、人間がこの世界を切り分けた結果である。どのように切り分けるのかは恣意的に可能ではあるが、結局は生活上の利便性に依存する。但し、ある言語共同体の中では、いったん切り分けられた結果は世代を超えて保持されるため、いまの世界でも利便性があるかどうかは何とも言えない。例えば、ロシア語の男性名詞、女性名詞、中性名詞といった分類は、かつては何らかの利便性があったはずだと推測されるものの、いまの時代、学習者にとっては面倒な変化を覚えさせられるばかりで、利便性があるとは到底思えない印象を受ける。 2つの事物を組み合わせた結果を1つの概念で表すか、それとも2つの事物の合成物、混合物、複合、並置、...として扱うのか、ということも結局は利便性に依存している。一般的には、以下のように区別できる。
もう1つ、「2者間の関係」という時には、観察者の視点がどこにあるのかもふまえておく必要があるだろう。このことは「皆既日食と皆既月食はどこが違うのか?」という例で考えてみるとよく分かる。 この問題は、ふつう、「月の影が地球にあたるのが日食、地球の影が月にあたるのが月食」という解答で納得されてしまうようだが、より正確には、観察者がどこに居るのかによって関係の記述が変わってくる。 別の惑星から大口径の望遠鏡で観察すれば、地球上の月の影も、月面の地球の影も、同じような現象として観察されるであろう。いっぽう、皆既日食中のコロナが見たい、皆既月食中の赤い月を見たいというような要望に応えるには別の視点が必要である。 まず「太陽より月のほうがちょっぴり大きく見える場所で、太陽をそっくり隠す」ことを皆既日食というように定義すると、そのような現象を観察できる場所は、太陽系空間の中に24時間365日存在している。きわめて高速の宇宙船に乗ってそうした月の影を追いかけることができたとすれば、皆既日食は24時間365日観察できるのである。いっぽう、地球上で皆既日食を観察しようと思った場合は、チャンスはきわめて少ない。太陽と月と地上の観測ポイントがごく短時間、一直線上に重なった時に皆既日食が見られるのである。 いっぽう、皆既月食は太陽と地球と月が一直線上に並んだ時に生じる現象である。月面に地球の影があたるということは月そのものが暗くなる現象であるゆえ、宇宙空間のどの場所からでも観察できる(←遮るものがあれば観察できない。皆既月食の時間帯に月が見えていなければ観察できないが、これは地球自体によって遮られていることを意味する。) 皆既日食は太陽系空間のどこかで24時間265日観察できるのに対して、皆既月食は、せいぜい年に2回程度、1回あたり1時間程度しか観察できない。その違いはどこにあるのか。それは、「コロナが見える」という意味での皆既日食は、必ずしも地球上での観測を前提としていないからである。いっぽう、皆既月食は月面を主体にして「月が光を失う」という形で定義されている。もし、月食ではなくて、単に、「地球によって太陽が完全に隠される」現象を観察しようとするのであれば、24時間365日、太陽系空間のどこかで観察可能となるはずだ。 不定期ながら次回に続く。 |