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|   | 2007年8月当時のモンゴル・ウランバートル。こちらに旅行記あり。 | 
| 【連載】 「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」(1)「現実をリアルに描くために、そのリアルさを強調するための舞台を提供する」ことの難しさ 2月9日にNHKで放送された、 ●BS1スペシャル「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」 を録画再生で視た。 モンゴル・ウランバートルのマンホールの中で生き抜く子どもとその後の様子は、私の知る限りでは過去3回にわたって放送されており、私も強い関心を持っていた。 
 
 今回の20年後の放送で、オユナが亡くなったことは残念であったが、ボルトとダシャは再び強い友情で結ばれ、それぞれ定職を得て、小さいながらも自分の家で安定した生活ができるようになり、希望が見える結末となった。 このように放送内容はまことに感動的であったが、この種の取材ではどうしても、取材スタッフによる過剰な演出が気になるところである。2008年放送後にはこちらの方がいくつかの点を指摘しておられ、私も2009年5月25日およびその前後の日記で「過剰演出」に言及したことがある。 今回も、 
 ま、何はともあれ、ダシャやボルトが、全くの厚意だけで取材に応じていたとは思えない。以前、BS20周年ベストとして、1998年と2004年の番組が放送された時には、その間のトークで、高橋太郎ディレクターは、 (マンホールの縄張り争いをしている中の)弱いグループは、(取材の)カメラがある時はいじめられない。そのことから付き合ってくれるようになり、信頼関係が築かれた。と語っていたが、信頼関係だけで取材が続けられたのかどうかは疑問である。例えば、2010年放送で、ダシャとオユナが叔母の実家にナッサンを預けに行く際に座席に座っているシーンがあるが、あの座席は列車やバスではなく、どうみてもスタッフが特別に手配したワンボックスカーの後部座席であるように見えた。 ま、そうは言っても、「いま何をしていますか?」という聞き取りだけでは番組構成は成り立たないであろうから、ある程度は、舞台を用意する必要もありそう。このあたり、脚本のあるドラマだったら何でも自由に設定できるのだが、「現実をリアルに描くために、そのリアルさを強調するための舞台を提供する」ことの難しさを感じさせる内容であった。 |