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岡大・東西通りのハナミズキ。今年は開花にバラツキがあり、すでに満開の木もあれば、まだ蕾状態の木もある。例年、GWの頃が見頃となるが、その時期は大学が休みとなるため、あまり注目されない。 |
【小さな話題】「力」とは何か、ますます分からない 昨日の日記で「重力」については私自身まだ納得できていない疑問がいくつかあると述べた。 この疑問はさらに突き詰めていくと、「力」とは何か?という問題にかかわってくる。 ちなみに私は、高校1〜2年の頃、物理概念を哲学的に考え過ぎて何だか分からなくなり、大学入試の時は「物理」での受験を諦め、理系2科目として「化学」と「地学」を選択した。このこともあって、物理の知識は中学生レベルにとどまっている。 ウィキペディアでは「力」は以下のように定義されている。 物理学における力(ちから、英: force)とは、物体の状態を変化させる原因となる作用であり、その作用の大きさを表す物理量である。特に質点の動力学においては、質点の運動状態を変化させる状態量のことをいう。広がりを持つ物体の場合は、運動状態とともにその形状を変化させる。といっても、これでは「作用」とは何かが分からない。運動については、 物理学における運動(うんどう、英: motion)とは、物体の参照系との位置関係が変化することである。と定義されているが、これまたよく分からない。 「力」概念についての批判の項目では、 (古典力学の)力は物理学の根幹にかかわるものであるが、力の定義づけは自明ではないともいわれる。アイザック・ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』において力と質量について明確な定義を与えていない。現代的な視点では、ニュートン力学における力は運動の第2法則 F = ma によって定義されるものと解釈されるが、この解釈のもとでは、比例定数の慣性質量 m が未定義な量であるために、力と慣性質量の定義が独立しておらず、不満である。そのため、力と質量の定義を分離すべきという批判がなされている。専門的なことは全く分からないが、「比例定数の慣性質量 m が未定義な量であるために、力と慣性質量の定義が独立しておらず」という部分がなぜ問題になるのかは、とてもよく分かる。 私が高校の時に物理が苦手になったのは、概念の定義や対象の本質にこだわりすぎたためかもしれない。もっと割り切って、関係式だけをいじっていれば、得意科目になったかもしれない。(自慢話になるが、私は、化学のほうは大得意であり入試の自己採点では全問正解となるほどであった。化学の場合は、少なくとも分子レベルまでは対象が具体的であり、関係と性質をセットにして扱うことができたので分かりやすかった。) 元の話題に戻るが、慣性系という概念についてももう少し理解を深める必要がありそうだ。ウィキペディアには慣性系について、
定年退職&隠居宣言により、外部資金獲得のストレスに晒されることから解放されたいま、もういちど古典力学を学び直してみることも、死ぬまでにやっておきたいことの1つとして有意義であるかもしれない。それを理解できるだけの能力があるかどうかは不明であるが。 |