じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 6月4日の続き。京大構内は斬新なデザインの建物に建て替えられた部分がある一方、文学部東館の出入口付近のように40年前と全く変わらない風景が混在していた。
  • A:文学部東館の西側出入口。
  • B:西側出入口から中庭方面。この景色は40年前と全く変わらず。
  • C:文学部東館の東側出入口。
  • D:文学部東館第一講義室前。今では希少な文化財となりつつある「タテカン」が残っていた。講義室自体は、少なくとも授業には使われていないように見えた。



2019年6月06日(木)



【連載】

チコちゃんはIQ1000か?

 雑学系の記事を検索していたところ、偶然に「IQ1000」というネタが目にとまった。知能指数とは何か?についてはウィキペディアに解説されているような内容でほぼ妥当かと思われるが、世間では「IQ」という言葉が一人歩きしており、IQの数値が大きければ大きいほど賢く、「IQ1000」とか「IQ一兆」となれば超能力者か、神の存在であるかのようにとらえる向きまであるようだ。

 でもって、タイトルの「チコちゃんはIQ1000か?」であるが、チコちゃんというキャラは5歳児に設定されているが、解説者に「チコちゃんは5歳なのによくそんなことまで知っているねえ」と驚かれるように、50歳並みの精神年齢を有していると考えられる。そうすると、IQの古典的定義:

精神年齢 ÷ 生活年齢 × 100

の算出式に当てはめれば、

50歳÷5歳×100=1000

となるので、「IQ1000はどんな人か?」と問われれば、チコちゃんみたいな人だと答えても間違いではなさそうだ。

 ま、それはそれとして、実際に「IQ1000」がありうるのか?と言われれば、答えはNOである。その是非は別に議論するとして、いま現実に使われている集団知能検査は、平均値と標準偏差をもとに算出されており、「IQ1000」にもなるような逸脱値は地球の全人口(過去に存在したすべての人を含む)をもってしても、とりえないからである。

 IQというのは、要するに、「理想的な知能検査」なるものが存在すると仮定した上で、

●「理想的な知能検査」の合計点(素点もしくは換算点の合計)が、同じ年齢集団の中でどれだけ平均値からずれているのか?

を数値化したものであって、それ以上でもそれ以下でもない。ちなみに、「どれだけずれているのか?」は偏差値と同じ意味であり、知能偏差値が分かればIQも自動的に換算できるし、その逆も可能。

 実際に標準化されている集団知能検査で、「IQ1000」と判定されることがあり得ない一番の理由は、集団知能検査は問題数が限られており、満点以上には得点できないからである。

 IQ関連研究がどこまで進んでいるのかは、隠居人の私にはよく分からない【創造性研究については、相当昔に、研究発表したことがあった。】 このほか、少し昔、行動分析学界で名の知られたHerrnsteinが共著者とともにThe Bell Curveの本を刊行した時には驚いたことがある。また、最近では、フリン効果が終焉したという研究もあるようで、まことに興味深い。

 最後に、私自身のIQについての考えを以下にまとめておく。
  1. IQはあくまで実用概念である。使い方によって役に立つ場合もあるし、弊害になる場合もある。
  2. 世界でただ一人しか持ち合わせていないような特殊な能力は、あったとしても知能検査では測れない。検査項目(知能検査の問題内容)に含まれていない知的能力は測ることができないし、他者との比較もできないからである。
  3. 特定の環境、文脈のもとでしか発揮できないような能力は、集団知能検査では測定できない。例えばサヴァン症候群の人が示す飛びぬけた記憶力は、集団知能検査のスコアには殆ど反映されない。
  4. IQは、数量化し、平均値や標準偏差が算出できるような知的能力しか反映することができない。
  5. 知能検査は発達障がい支援に有用ではあるが、「発達段階」を固定化するのではなく、いま何ができるか、この先何ができるようになるか、という行動レベルに注目したほうが遙かに有用。