じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山植物園で見かけた「ツバメ4きょうだい」。


2019年7月10日(水)



【連載】

行動分析学用語(第3期分)についての隠居人的独り言(10)「内発的動機づけ」、「外発的動機づけ」と強化理論

 7月9日に続いて、行動分析学用語についての独り言。今回はリストにあった、
  • extrinsic motivation 外発的動機づけ
  • intrinsic motivation 内発的動機づけ
について独り言を述べることにしたい。

 まず、はっきりさせておきたいのは、この2用語は動機づけ理論で使われる用語であり、行動分析学とは立場を異にする概念であるという点である。といっても、心理学概論などでは、行動分析学の強化理論以上に詳しくこのテーマを扱う授業担当者もおられるし、強化理論を誤解している担当者の中には、内発的動機づけの事例をもって強化理論は間違っているというような不当な主張が展開されている場合さえある。

 動機づけ理論が言う「内発的動機づけ」は、行動分析学では、
  • 自然随伴性:行動の直後に自然に伴うような随伴性(長谷川版の3.3.参照)
  • ルール支配行動のオーグメンティング(augmenting)の1つのタイプ(長谷川版の7.4.参照)
という形で説明できる。

 行動分析学に批判的な立場の人は、以下のような例を挙げて、(行動分析学の)強化理論は間違っていると主張する。
  1. 報酬を一切受け取らずにボランティア活動をする
  2. 「走るのが楽しい」という理由だけで毎日ジョギングをする(何かのマラソン大会出場を目ざしているわけではない)
  3. 「弾くのが楽しい」という理由でピアノを弾く。他者に演奏を披露するわけではない。
「これらはごほうびや罰に左右されずに行動している、だから強化理論は間違っている」というのが、行動分析学に否定的な一部の人々の主張であるが、実際には上記1.〜3.のいずれにおいても行動の直後に何らかの強化子(好子)が出現しており、それらの出現によって行動はちゃんと強化されているのである。
  1. ボランティア活動:支援を受けた人たちの笑顔、感謝。一緒に活動している人たちとの交流など。
  2. ジョギング:手足を適度に動かすという筋肉運動自体。人によっては、ジョギングコース沿いの美しい景色。
  3. ピアノ:弾くこと自体によって発生する美しいメロディ。
 重要な点は、「楽しいからやる」、「心の底から自由な気持ちでそうする」のではなくて、1.〜3.のような場合でも、何らかの具体的な刺激事象が強化子(好子)になっているという点である。
  1. ボランティア活動の常連者の中には実際、「笑顔を見せてくれることが一番の喜び」と語る人たちもいる。また、殺伐とした競争社会と異なり、他者との協力や共同作業が強化されやすい環境にあることも確かである。もちろん中には、他者から一切感謝されなくても「他者への貢献感」という哲学的信念だけで参加している人もおられるだろうが、その場合は、哲学的信念に合致した行動をとること自体が強化的になっていると見なすことができる(宗教的な修行も同様)。
  2. 足首におもりをつけたり、アップダウンの大きなルートにコース変更したりすることで、どういう筋肉運動自体が強化子(好子)になっているかどうかを分析することができる。道沿いの美しい景色が強化子(好子)になっているかどうかは、夜間に同じ場所を走ることが同程度に続けられるかどうかテストすれば分かる。昼でも夜でも同程度であれば景色は強化子(好子)ではない。昼間のほうが持続できるというのであれば、本人の肯定否定にかかわらず、周辺の景色は何らかの強化子(好子)として機能している。
  3. ピアノを弾くという手指の運動自体が強化子(好子)になっている人の場合は、無音化した電子ピアノでも同じようにピアノを弾き続けるはずである。美しいメロディが強化子(好子)になっているという人であれば、無音化されたり、一部の鍵盤が壊れて音が出ないようなピアノを弾くことはない。
 いずれにせよ、単に「楽しいからやる」としたのではトートロジーになってしまうのに対して、上記のように、行動の直後の結果を詳細に分析していけば、その行動をさらに増やしたり、逆に減らしたりする方策も見つかる。

 動機づけ・自己決定理論の研究ではしばしば、質問紙調査により、特定の行動の頻度と、その理由(義務感、必要性、目的など)を調べて、相関分析をするというアプローチが一般的であるように思われる。それによって、当人の行動がどういう動機づけ要因によって続けられているのかということは明らかにできるが、これはあくまで相関分析の範疇にとどまる。いっぽう、行動分析学の強化理論では、「内発的」に動機づけされているという行動においても、最後は、何が強化子(好子)であるかを明らかにすることが最終課題となる。

 行動分析学では、行動が増加するためにはあくまで強化されることが必要であると考える。動機づけを強めるだけでは行動は増えない。動機づけというのは、あくまで、強化子(好子)の強化機能を高めることであると考える。

 例えば、半日以上、一滴も水を飲めなかった人がいたとする。この「遮断化」は、水の強化機能を高める動機づけになる。しかし、そのような状態に陥った時にどういう行動が増えるのかは、その人の置かれた文脈によって異なるだろう。
  • 砂漠で道に迷った人であれば、遠くにオアシスがないかを探し回る行動が強化される。
  • 密林で道に迷った人であれば、せせらぎの音を頼りに水場を探すという行動が強化される。
  • ボートが沖合に流された人であれば、陸地に向かって必死に漕ぐか、雨水を器に溜めるといった行動が強化される。
  • 街中を歩いている人であれば、自動販売機を探したり、公園の水飲み場を探す行動が強化される。


 でもって、元の話題に戻るが、「内発的動機づけ」、「外発的動機づけ」というのは、行動分析学とは異なる立場の人たちの用語であるので、行動分析学会だけで勝手に検討したり変更を決めることはできないと思う。あくまで、「自然随伴性」とか「行動内在的随伴性」といった行動分析学的用語をしっかりと決めた上で、動機づけ理論とのアプローチの違い、有用性などについて議論を進めていくことが重要かと思う。

 次回に続く。