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【連載】 又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」(2)「主観的な1分」への疑問 昨日に続いて、8月7日放送の又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」の感想・コメント。 番組では、物理学的な時間論に続いて、「ストップウォッチで1分と思う時間を測る(目隠しをして、1分経ったと思ったところでストップウォッチを押す。頭の中で数えてはいけない。)」という実験が行われた。その結果、F先生は1分49秒、又吉さんは51秒であった。これは時計の1分間に比べて主観的時間が長いか短いかを調べるテストであり、
もっとも、この種の実験には、以下の2点において疑問が残る。
次の2.の問題はより重大である。「1分間」という時間は、持ち時間を使い切ると秒読みになる囲碁・将棋の棋士、あるいは、電車の運転士、アナウンサーなどにとっては極めて重要であるが、一般人が日常生活場面で「1分」という時間制限に振り回されることはまずない。となると、「1分」とは何かが分からないままにテストを受けている可能性がある。これは、1フィートをよく知らない人にロープを渡して「1フィートと思われる長さで切り取ってください」と実験するのと同じことであろう。この実験でも、物理的な1フィートより長めに切る人と短めに切る人が出てくるが、長めに切った人のほうが、だからといって物の長さを長めに捉えているという証拠には必ずしもなるまい。 同じく、色々な色を見せて、「どのくらいエメラルド色に似ているか?」を5段階で評価してもらうという実験を考えてみてもよい。「エメラルド色」自体は十六進の色コードで定まっているとしても、実験参加者がもともと思っている「エメラルド色」の色合いには個体差がある。それぞれの人の物差し自体に個体差があれば、評定値は、物差し自体の違いなのか、色の知覚(もしくはカテゴリー化)のちがいなのかは分からなくなってしまう。 では、どういうテストをしたら、時間感覚の個体差を調べることができるのだろうか。 1つは、「1分間」というような単位に頼らず、相対比較を求めることである。例えば、まずランプを1分間(←10秒でも、3分間でもよい)点灯させ、そのあとで、いま提示された点灯時間が同じ時間が経ったと思うときにボタンを押してもらうというやり方である。もっとも、この種の相対比較は、同時提示が可能な、図形の大きさや明暗比較などには有用であるが、時間感覚の場合は、順番をずらして比較を求めることしかできないため、前後関係などの効果が出る恐れがある。 「1分間」の代わりに、誰もが確実に知覚している「1日の長さ」であれば、時間感覚の個体差を調べることができそうである。少なくとも現代人であれば、1日という時間に縛られて規則的な生活をしているからである。例えば、鍾乳洞の奥深くでテント生活を初めて、1日が過ぎたと思った時に外に出てきてもらう。それが物理的な24時間より早すぎるか遅すぎるかを調べれば、個体差が把握できるはずである。 ま、これに限らず、「1分間」、「3分間」、「1時間」といった時間は、その人の仕事内容によって重要であったり、どうでもよかったりするものだ。ちなみに、私自身は、長年にわたって90分授業を担当していたため、講義時間が終わりに近づくとその日のまとめに入ることが自然にできるようになった。ところが定年退職の数年前に、授業時間が60分×2(60分授業、10分休憩、60分授業)に制度変更されたため、60分で話を終わらせるのに大いに苦労した。 次回に続く。 |