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【連載】 又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」(6)時間に縛られるとはどういうことか 昨日に続いて、8月7日放送の又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」の感想・コメント。 番組の終わりのほうでは、「日本人はとても時間に正確だと言われる」ことに関して、明治維新直後の外国人教師の日記(カッテンディーケ『長崎海軍伝習所の日々』)には、当時の日本人はあきれるくらい悠長であったと記されているという。番組では、日本人が時間に正確になったのは、時間厳守の学校教育と工場の始業が原因であるというように説明された。 もっとも、学校教育と産業労働が原因というのであれば、少なくとも先進諸国の人々はみな時間に正確になるはずであり、イマイチ納得できないところがある。日本人が時間に正確というのは、あくまで集団生活の中の話であり、他者を待たせてはいけないという配慮が背景にあるのではないかと思われる。個人の私的な生活では、日本人だけが特別に時間に正確というわけではないだろう。 このことでしばしば感じるのは、海外ツアーの集合時間である。添乗員から「朝8時にホテルロビーに集合」と伝達された場合、殆どの人は7時50分頃にはロビーに集まっていて、8時ジャストにノコノコと現れると自分が最後ということが少なくない。私の参加するツアーでは、殆どが60歳代、70歳代の高齢者であり、もっと若い人たちのツアーでも同様なのかどうか分からないが、とにかくこういう場面では、「時間を正確に守る(=8時00分00秒に現れる)」というより、「他の人たちを待たせないように少し早めに出てくる(=約束時刻より10分ほど早く現れる)」という傾向が強いように思われた。 さて、そもそも時間に縛られるとはどういうことを言うのだろうか。行動分析学的に言えば、形式上、以下は、時間に縛られた行動ということになる。
番組によると、人類の歴史の中で、時計の時間に合わせて生活するようになったのはせいぜいこの150年くらいのことであり、秒刻みや分刻みの行動は人間には向いてないのかもしれないということも指摘されていた。 ちなみに、私自身は、定年退職後もきわめて規則的な日課を続けているが、これは、時間に縛られているというよりも、規則的に生活しているほうが要領よく遂行でき、かつ中長期的に見て充実した生活になると判断しているためである。もちろん、定年退職によって、各種の申請書や報告書の締め切りに追われたり、授業や各種会議の開始時間を気にしなくて済むようになったことで、ストレスが減ったことは間違いない。 次回に続く。 |