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11月5日の岡山は最低気温が6.0℃まで下がり、この秋いちばんの寒さとなった【←今年の立冬は11月8日】。また、県北の千屋では、最低気温がマイナス0.3℃となり、この秋初めての氷点下を記録した。
写真は、日だまりで早くも開花したホトケノザ(サンカイグサ)。花期は3月から6月とされているが、日だまりでは晩秋から咲いている。 |
【連載】『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』(2)知識としての語彙の増加か、行動の発達なのか 昨日の続き。 針生先生の『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』第1章は、 赤ちゃんは本当に「天才」なのか というタイトルのもと、人間の子どもの語彙獲得の特徴が解説されていた。なお本書では、主に1歳未満を「赤ちゃん」、1歳以上を「子ども」と表記しているとのことである。 本書にも記されているように、人間の子どもでは、1歳後半になると「語彙爆発」と呼ばれる急激な語彙増加が見られる。また2歳になると2語をつなぎ合わせた「文」の発話が爆発的に増えていく。いっぽう、これまで、チンパンジーに言葉を教える実験研究が各種行われてきたが、音声言語はチンパンジーの発声器官の構造上の制約から困難、その後、手話を使ってコミュニケーションをとる研究も行われたが、語彙は増加したとはいえ、人間の子どものような「語彙爆発」は見られず、また、平均発話長はいつまでたっても1.5(単語1つだけ、もしくは2つ繋げただけ)にとどまっていたという。なお、聴覚障がい児が使う手話の平均発話長は、典型発達時の音声言語における発話長と同じように増加が見られているので、チンパンジーの手話の発話長が増加しないのは、手話自体の困難性によるものではないことが示唆される。以上のような事例をもとに、何も話さないように見える赤ちゃんも、じつは見えないところで努力しており、話さなくても学ぶために苦労していること、決していとも簡単に言葉が学習できる「天才」ではないということが示唆された。 以上が、私が理解した範囲での第1章前半の内容であった。以下は私の感想。 昨日の日記で、本書全体についての大ざっぱな感想の1つとして、 カバーのところに「認知科学や発達心理学の研究に従事」と記されているように、行動分析学者の端くれであった私とは立場を異にしているため、発想や解釈の面で若干しっくりこないところがあった。特に、関係フレーム理論に基づく言語行動の研究に目が向けられていないのはまことに残念。と述べたところであるが、第1章の前半部分においても、さっそく、「しっくりこない」部分があった。なぜなら、一口に「言葉を覚える」と言っても、行動分析学的な発想から言えば、以下のような多種多様な行動が考えられるからである。
著者の針生先生のことではなくて、あくまで一般的な認知心理学的アプローチについての問題点として意見を述べさせていただくが、認知心理学的な発想というのは、 ●学習というのは知識の獲得や認知の変容のことである。それらが、動機づけなどによって、行動として発出する というように捉える傾向が強い。そのため、あくまで認知の変容を確かめる手段として、行動的指標が用いられることになる。 いっぽう、行動分析的なアプローチでは、行動が起こっているのかどうか自体が主人公であり、その根底に「知識の獲得」や「認知の変容」があるかどうかは前提としていない。 いずれにせよ、子どもの「言語爆発」や「平均発話長の増加」という現象がなぜ起こるのかは、ちゃんと説明されなければならない【←予測や影響に役立つ「説明」】。 スキナー自身の言語行動論はそれらをうまく説明することができず、そのことが、チョムスキーや、認知心理学的な言語心理学者からの批判の対象になったりしてきた。いっぽう、行動分析学の発展型の1つである関係フレーム理論は、この現象をうまく説明できているように、少なくとも私にはそう思われる。 不定期ながら次回に続く。 |