じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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半田山植物園の裏山にあるムレスズメ。ネットで調べた限りでは、花期は4月頃、サクラが散る頃に咲くはずであるが、なぜかこの時期に花盛りとなっている。11月21日掲載のヒュウガミズキの開花もそうだが、異常気象のせいで、本来は春に咲く木々に異変が起きているように見える。

2019年11月23日(土)



【連載】『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』(12)単語のつながりと助詞の役割

 

 11月21日に続いて、

 針生先生の『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』の感想。

 第3章の116ページ以降では、名詞のみが使える段階から、単語を繋げて文を作る段階への発達のプロセスが説明されていた。

 まずは、単語の種類をいつ頃からどうやって見極めるのかという問題である。本書によれば、日本語を母語とする大人の場合は、
  • 単語のあとに「が」、「を」、「は」がついている単語は名詞。
  • 単語のあとに「る」、「ている」、「ない」がついている単語は動詞。
が手がかりになっている。しかし、日本語環境で育つ子どもの場合、「バスいた」「パパ居ない」というように、助詞を抜かした発話から始まる【英語環境で育つ子どもの場合は、冠詞や活用語尾(複数形の-sなど)が抜けやすいという】。

 いくつかの実験研究によると、日本語環境で育つ子どもは、15カ月になれば、助詞を聴き取れるようになるいっぽう、助詞は省略しても意味は変わらない(かつ、助詞以外の音は、抜かすと意味が変わってしまう)ということを学習していることが明らかにされているようであった。

 ここからは私の感想になるが、そもそも助詞というのは、日本語に特有な品詞であり、これとよく似た品詞をもつ言語は、朝鮮語、トルコ語、ハンガリー語などに限られており、世界の多様な言語の中では少数派に属しているようである。

 学生の頃、ドイツ語やロシア語の格変化を学んだ頃、日本語の「名詞+助詞」は格変化に置き換えられるのではないかと思ったことがあった。もっとも、格変化は名詞の語形そのものが変化するため、上記のような「省略しても意味は変わらない」とは言いがたいところがある。

 日本語の場合はなぜ助詞を省略しても意味が変わらない(変わりにくい?)のかというのは大きな問題であるが、私が思うには、もともと日本語は、ムラ社会のコミュニケーションとして成立したため、話し手と聞き手が同じ文脈を共有している中では、主語や目的語は必ずしも必要とされない、動詞や形容詞だけでも文として成立する(=誤解を生じることなくコミュニケーションができる)という特徴があったように思う。話し手と聞き手がバス停に向かっている時の会話であれば、上掲の「バスいた」は「あっ、いた、いた」でも通じる。パパと待ち合わせしている場所に着いたのにパパが居なかったときは「あれ? 居ないよ」でも通じる。なので、助詞が省略できるというより、主語そのものが省略できることのほうが重要ではないかと思われる。

 なお、主語や目的が省略できるということは、その部分を切り出して、話題提示文(会話の文脈を限定する文)と、(主語や目的語を省略した)本文の2つの文に分離できるということによっても証拠づけられる。
  • 「象は鼻が長い」→「象の鼻という話題ですか? 長いですねえ」
  • 「ボクはウナギだ」→「ボクが何を注文するかという話題ですか? ウナギですよ」
  • 「コンニャクは太らない」→「コンニャクが肥満に及ぼす影響という話題ですか? 太らないですよ」


 とはいえ、上掲の実験研究では、15カ月になれば助詞の聴き取りができているというから、やはり、助詞にはそれなりに大切な機能があるのだろう。

 次回に続く。