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11月28日の夕刻、月齢1.8の月と木星と金星が接近している様子を眺めることができた。また翌朝には、前日に西方最大離角を迎えた水星が見えていた。 |
【小さな話題】旅行型と日常型の紅葉見物 11月26日から28日まで2泊3日で京都の紅葉見物に行ってきた。今回の旅行は、8月1日に参観の抽選申し込みをしていた桂離宮と修学院が当選したことに伴うもので、修学院離宮は今年の5月以来で通算3度目、桂離宮の参観は今回が私の人生で初めてであった。【なお、同時に申し込んでいた京都仙洞御所は残念ながら落選】 この2箇所を含めて、今回訪れた場所は、
紅葉見物を目的に京都を訪れたのは2008年と2012年に続いて3回目となる。今回は、これで見納めという覚悟をもって、今まで一度も訪れてない場所や、中学の修学旅行以来となる場所を選んでみた。 いずれの場所の紅葉もちょうど見頃となっており、1日3景×3日=9景はいずれも満足できる絶景であった。これで、死ぬまでに一度は訪れたいと思っていた紅葉名所はすべて行き尽くした。京都を再び訪れることはたぶん無いだろう。 ところで、紅葉の美しさというのは、光の加減で大きく異なるようである。肉眼で直接見て、これは素晴らしい!と歓声をあげたくなるような色合いもあるが、そういう鮮やかな光景はデジカメで撮影すると赤のセンサーがオーバーしてしまってうまく写らない。いっぽう、肉眼では茶褐色にしか見えない木々にスポットで露光を合わせると素晴らしい鮮やかな写真が撮れることもある。結局のところ、紅葉がどう見えるのかというのは、人間の目の特性に依存しており、また10月27日の日記にも書いたように、色の見え方には個体差があるようだ。ちなみに、春のソメイヨシノの見え方にも個体差があるように思える。私の目では、ソメイヨシノの花は皆白っぽく見えていて、どこがそんなに素晴らしいのかは分からないところがある。八重桜のような鮮やかさが無いと感動しない。 ホテルでたまたま見た番組で、日光東照宮の逆柱の話題を取り上げていた。そこには、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承が反映されており、ウィキペディアのリンク先には 鎌倉時代の「徒然草」には、完全なものは決して良くはない、それで内裏を造る時も、必ず1か所は造り残しをする、とある。江戸時代には、家を建てる時「瓦三枚残す」と言った、という。という記述がある。紅葉見物なども同様で、訪れた場所の紅葉がイマイチであった時は「また来てみたい」と思う反面、完璧な紅葉を見てしまった時にはそれで満ち足りてしまってもう一度訪れたいとは思わなくなるものである。山登りも同様。山頂が霧に包まれていて何も見えなかった時は、天気の良い日にもう一度登ってみようと思うが、完全に晴れ渡って遠くの景色までバッチリ見えているとそれで完結してしまう。 ま、景観を目的とした旅行というのはみなそういうものであり、同じ場所に何度も行くことはない。海外旅行でもそうだが、同じ場所を再び訪れたいとはあまり思わない。例外的に「もう一度」と思うのは、前回よりも素晴らしい景観が見られることが期待できる場合に限られる。 しかし、日常風景を楽しむ場合は、全く別となる。私自身の場合は、岡大構内や半田山植物園の風景などがそうだが、これらは、ある瞬間の切り取った「絶景」ではなくて、四季折々の変化を楽しむことが中心となる。本来、広い庭でもあれば居ながらにして楽しめるところであるが、私の場合は、ウォーキングの一環として日々の自然風景に接することが楽しみになっている。 |