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チコちゃんの「なんで中国料理は回転テーブルで食べる?」に関連して、昨年、西チベット方面を旅行した時の夕食時の写真を調べてみた。殆どのレストランではガラスの円板を使った回転テーブルでの食事となったが、一部、タルツェンやニンドなどでは、回転テーブルではないお店もあった【写真下2枚】。なお、このツアーでは、食事の殆どは中国料理であり、チベット料理は滅多に提供されなかった。 |
【連載】#チコちゃんに叱られる! 「なんで中国料理は回転テーブルで食べる?」「なんで遠くにあるものは小さく見える?」 昨日に続いて、4月24日に放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。本日は、
まず2.の回転テーブルだが、番組では「チップの習慣が日本に根づかなかったから」と説明された。今回の番組で初めて知ったのだが、回転テーブルを使った食事というのは中国古来からの食事様式ではなく、明治以降に日本で発明されたものであるという。 番組によれば、中国ではもともと食事の時の座順が決まっており、例えば6人の場合には、時計回りに、1、2、4、6、5、3という配置で座る習慣があった【数字は偉い順を示す】。なので、回転テーブルを順に回して、大皿から食べ物を取るという習慣は原理的にあり得なかったと説明された。 いっぽう日本では、当初は女給さんが大皿からとり分け、お客はそれに対してチップを払っていたが、日本ではチップの習慣は根付かなかった。そこで、自分で大皿から取り分けるために回転テーブルが考案されたという。 番組によると、現存最古の回転テーブルは目黒の中国料理店にあり、昭和7年(1932年)に作られたという。しかし他にも、日比谷や日本橋にも同時代に回転テーブルがあったことを示す写真があり、チップ廃止が定着した昭和6年頃から、いくつかの店で同時に考案されたと考えるのが妥当であるように思う。【こちらには、イギリスやアメリカでも回転テーブルがあったという事例が紹介されている。】 なお、日本では回転テーブルというと、中心に軸があって、その上に木製の円板が取り付けられているタイプが主流ではないかと思われるが、中国の一般向け食堂で使われているものは、単にガラスの円板が乗せられただけのシンプルな構造になっている。 テーブルを時計回り、反時計回りのどちらに回すのかについては、ネットで検索した限りでは、 ●食事は主賓から取り、次に主賓の左隣、次に主賓の右隣、その後は時計回りで回す というルールがあるらしい。もっとも団体ツアーの時は席順は自由であり、回転の方向もその時のローカルルールで決まってしまう。 以上が番組の内容であったが、もともと、中国料理が大皿で提供されるというのは、強火で炒めた料理を直ちに食べてもらうための工夫であったと思われる。しかし昨今の新型コロナウイルスの影響で、大皿ではなく小分けにして提供したり、取り箸を別に用意したり、というように、感染防止のための「新しい生活様式」が推奨されるようになってきた。ま、カウンター席のように皆が同じ方向を向いて食べても、円形テーブルを囲んで食べても、同じ室内で長時間食事をする限りにおいては感染リスクはそんなに変わらないように思えるのだが。 もう1つの「なんで遠くにあるものは小さく見える?」は、「大きさとは光の角度だから」という、あまり意外性の無い説明で終わってしまった。もっとも、角度が大きいというだけで何でも大きく見えるわけではない。番組でも丁寧に説明されていたように、
3歳の頃だったか、もっと小さかった時のことだったか定かでは無いが、子どもの頃、渋谷の東横デパートの屋上から生まれて初めて眼下の景色を眺めた時、すぐ下を通る山手線(当時は「省線」と呼ばれていた)や車がマッチ箱のように、また、歩く人たちはアリのように小さく見えていた。ところが、何年か経ってから頃には、車も人も単に遠くにいるように見えているだけで、小さく見えるという鮮烈な体験を味わうことはできなくなってしまった。これはおそらく知覚の恒常性が発達したためかと思われる。 番組の説明自体には意外性は無かったが、東京スカイツリー(634m)と東京タワー(333m)が同じ高さに見える場所探しというのはなかなか興味深かった。原理的には、このように見える地点は、円を描く(但し、円の中心が東京タワーになるわけではない。なぜ円形になるのかは高校の数学問題になりそう)。でもって、その円上の中でも、両者がほぼ同じ方向に並んで見える場所は、田園調布や三軒茶屋のあたりに限られているようである。三軒茶屋であればキャロットタワーの展望ロビーからの眺望が有名だが、残念ながらいまは新型コロナウイルス感染防止対策のため休館中となっているようだ。また確か、展望ロビーから無料で眺望できるのは西側のみであり、スカイツリーや東京タワーを眺めるためにはレストランに入る必要があったのではないかと記憶している。 |