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【小さな話題】進化論と政治改革 各種報道によれば、自民党がダーウィンの進化論を誤用した言い回しを使って憲法改正の必要性を訴えた問題で、日本人間行動進化学会(会長=長谷川眞理子・総合研究大学院大学長)は6月27日、会長と理事会名で、誤用に反対するなどとする声明を出した。この話題については、私がアンテナ経由で拝読しているいくつかのブログでも取り上げられていた。これを機会に私も隠居人なりに考えを述べてみたいと思う。 まず、当該の自民党の4コマ漫画だが、ネット上で検索したところ、以下のような構成であることが確認できた【句読点など一部改変】
次にAの批判について。素人の私が理解する限りではあるが、ダーウィンの進化論というのはあくまで系統発生に関する議論である。いっぽう「強い者」、「賢い者」、「変化できる者」というのはいずれも個体レベルの話、つまり個体発生に関する議論である。では、個体発生のレベルでの「変化できる者」とは何か? と言えば、1つは進化論では否定されている「獲得形質の遺伝」、もう1つはスキナーのオペラント条件づけの理論である。 獲得形質の遺伝についてよく例に挙げられるのが「キリンの首はなぜ長いのか?」である。キリンの首が長いのは別段、親のキリンが一生懸命首を伸ばしたからではない。高木が生えるサバンナに生息するキリンの中で、変異により首の長くなったキリンのほうが、首の短いキリンよりも食物を確保したり外敵を見張る上で利点があったから生き残り、その特徴を含む遺伝子が次の世代に受け継がれたからに他ならない。もしキリンが木々の生い茂るジャングルで生息していたとすると、首が長いことはかえって不都合となり、死に絶えてしまうことになるだろう。 個体発生のレベルで「行動の進化」を体系化したのは、ダーウィンではなくスキナーであった。これがオペラント条件づけの原理であるが、ここでは深入りしない【こちらの電子版の中の第2章を参照されたい】。 なお、元の漫画の「唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である。」という部分は、 ●変化の激しい環境下で生息する場合、オペラント条件づけにより、臨機応変に行動を変えられる個体は、その環境により適応しやすい。 というように書き換えるならば、かなりの程度で正しいと言える。但し、昆虫のように、オペラント条件づけに頼らなくても適応できる生物もいることから、適応戦略として「変化(結果に基づいて行動を変化させられること)」が常に有効かどうかは分からない。「変化すれば必ず適応できる」のではなく、「100通りの変化が可能である場合、そのうちの1つは適応的だが、残りの99の選択は失敗に終わる」という程度の成功率であると考えた方がよいかもしれない。 元の系統発生の話題に戻るが、進化論というと、どうしても、「競争原理」、「弱肉強食」、「適者生存」という言葉を連想しがちである。上掲の4コマ漫画でも「生き残る」とか「生き延びる」という言葉が使われている。しかし、そもそも、どんなに最強の生物(あるいは最も適応的な「変化できる」生物)が出現したとしても、それ一種だけで地球上に生息することはできない。研究が進めば進むほど、生物は異種間で共生しており、全体でバランスをとりながら適応しているということが明らかになってきている。もちろん他者との競合の中で切磋琢磨することも大切だが、競争的環境のもとで自分だけ生き残ろうとするような発想は捨てなければならない。 |