じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 8月中旬の3連休(土、日、山の日)が始まった。炎天下ではあるが岡大構内のグラウンドでは練習が行われていた。少し前までは新型コロナウイルス感染対策としてすべての部活動が停止されていたが、その後、一部の活動のみを限定的に許可という方針に変更されたようだ。もっとも、こうしたルールが厳格に守られているかどうかは心もとない。また、岡山では、少し前までは累計の感染確認者数が20人台で推移していたが、直近ではのべ110人、感染確認は17日連続(8月8日現在)となっており、大都市圏に比べれば少ないものの、これまでにないスピードで感染が広まりつつあるように見える。

2020年8月8日(土)



【連載】#チコちゃんに叱られる!「スゴ技ロボットベスト3」「なんで西日本は牛肉・東日本は豚肉?」

 昨日に続いて、7月31日に放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。本日は、
  1. なんで年をとるとアイドルの顔の区別がつかなくなる?
  2. マリモはなんで丸い?
  3. 佐野明人先生オススメ! 世界的権威も驚く! スゴ技ロボットベスト3」
  4. お肉といえば、なんで西日本は牛肉・東日本は豚肉?
という4つの話題のうち、残りの3.と4.について考察する。

 まず3.の「スゴ技ロボットベスト3」は、
  • 1位 アトラス:脅威のバランス力を持ち、前転、後転、ジャンプなどができるアクロバティック・ロボット
  • 2位 CUE:リングまでの距離や角度を測定してゴールするバスケットボールロボット。移動時の揺れを自動制御。
  • 3位 ダクティル:アーム型ロボット。ルービックキューブを片手で操作し、すべての面を揃える。
が紹介された。確かにどれもスゴ技を持っていることに驚かされた。単なる娯楽用ではなく、災害時の救助・復旧活動、放射線や落盤の危険のある中での作業、爆弾処理など様々な場面での活躍が期待される。
 もっとも同時に懸念されるのが軍事目的への転用である。ロボット同士の闘いに終わるなら戦死者が減るのでマシかもしれないが、市街戦に投入された場合、敵兵士だけでなく民間人が体温検知だけで無差別に殺傷される恐れもある。ロボット兵士は血も涙も無いので、白旗を揚げていても、赤ちゃんを抱いている母親であっても無差別に殺傷していくだろう。




 最後の4.の「お肉といえば、なんで西日本は牛肉・東日本は豚肉?」という疑問については、そもそも「西日本は牛肉・東日本は豚肉」という前提が成り立つのかどうか疑わしいように思われた。ちなみに私自身は、東京、京都、愛知、長崎、そして現在は岡山に住んでいるが、牛肉と豚肉の販売比率にそんなに差があると感じたことはない。「刺身のメインは、東日本がマグロ、西日本はタイなどの白身系」、「西日本ではラム肉は滅多に売られていない」ということなら実感できるけれど、牛肉と豚肉については東日本でも西日本でも大差なく、単に牛肉のほうが値段が高いという印象しか持っていなかった。

 番組によると、「西日本は牛肉・東日本は豚肉」という根拠は、
  • 総務省統計局による家計調査で県庁所在地および政令指定都市別のランキングを基に作成した「牛好き←→豚好き」傾向によると、石川・岐阜・愛知3県を含む東側の都道府県では豚好きが多い(但し山形県を除く)、福井・滋賀・三重を含む西側の都道府県では牛好きが多いという結果が得られた。
  • 「肉じゃがに使う肉は?」という投票【タウンネット調べ(投票総数2852票)】によると、石川・岐阜・三重を含む西側の都道府県では牛肉優勢、新潟・長野・愛知を含む東側の都道府県では豚肉優勢という結果になった。
ということであるが、どの程度の差があるのかは不明であった。じっさい、「西日本は牛肉」といっても、福岡では牛肉麺ではなく豚骨ラーメンが好まれるし、鹿児島のほうに行けば黒豚が有名、さらに長崎では豚の角煮、沖縄そばの具材にも豚肉が使われており、少なくとも「西日本が牛肉の文化」とは言えないように思う。

 いずれにせよ番組では「西が公家で東が武士の社会だったから」とされたが、如何にウケを狙っているからといって、この説明にはかなり無理があるように思われた。
 番組によると、「西日本は牛肉・東日本は豚肉」は以下のような経緯をたどった【長谷川による聞き取りのため一部不確か】
  1. 飛鳥時代から平安時代の当時、西日本では牛が農耕や移動用(牛車)用に使われていた。いっぽう、東日本では、アルプスや河川があるため牛による移動は困難。かつ、関東は火山灰のため草木の少ない痩せた土地が多く牛を育てることができなかった。
  2. 鎌倉時代になると、東日本では移動手段として馬が利用されるようになった。農耕用にも馬が活用された。
  3. しかしながら、飛鳥時代に伝わった仏教の影響で、明治初期までは食肉の習慣は無かった。
  4. 豚が日本に入ってきたのは戦国時代に九州本土と沖縄の間の島に伝わったが、本土にはなかなか伝わらなかった。
  5. 江戸時代末期になると横浜で牛鍋屋ができたり福沢諭吉が推奨したことにより牛肉を食べる文化が広まった。
  6. いっぽう1872年には政府主導の洋式の養豚が始まったが、牛肉ほどには広まらなかった。
  7. 日清戦争や日露戦争で軍隊が食料として牛肉の缶詰を採用したため牛肉が品不足になった。そのさい、牛肉の産地の少なかった東日本では豚肉が代用された。
  8. 終戦のあと、豚肉のすぐれた繁殖力に注目され、安く大量に生産できる豚肉が広まった。しかし西日本には牛肉の文化が定着していて、豚肉の食文化が入り込む余裕はなかった。
 しかし、農耕用・移動用の地域差があったとしてもそれが食肉文化にまで反映するというのは著しいこじつけであろう。また、もしそうであるなら東日本では馬肉を食べる習慣がもっと広まった可能性がある。ちなみに馬肉は癖があるなどの理由で敬遠されがちであるが、キルギスでは、馬肉は、羊肉や牛肉より高値で取引されていると聞いた。なので馬肉を好む食文化は確かに存在する。

 けっきょく、食文化としての「牛か馬か」に関係しそうなのは、上掲の7.や8.であって、江戸時代以前の農耕利用や牛車などは全く別の話であり、「西が公家で東が武士の社会だったから」もこじつけに過ぎないように思われた。

 余談だが、江戸時代に豚肉を好んだ人と言えば第十五代将軍のコ川慶喜が挙げられる。じっさい、「豚一殿」、「豚一様」などと呼ばれていたという。幕末に活躍した有名人物の中で、コ川慶喜は最も長生きした一人に挙げられているが(大正2年11月22日没)、長寿の秘訣は豚肉食という説もある。【コ川慶喜の死因はインフルエンザであると言われており、感染していなければさらに長生きされたことと思う】。