じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ウォーキングコース沿いにある、歩道とコンビニ敷地を隔てる縁石。私自身は、しばしばこの縁石の上を歩くが、別段「限界に挑戦して己の能力を高めるため」ではない。老化によるバランス感覚の喪失を防止するためのチェックといったところか。↓の記事参照。
 なお、本題とは全く関係ないが、この写真には少なくとも2ヶ所の問題事象が写っている。
 1つめは、コンビニの看板の真下(Aの位置)が喫煙所になっていること。右横の黄色い楕円で示されているようにこの場所は、バス停のすぐ近くであり、夕刻には岡山理大附属高校の生徒などがバス待ちをしていて受動喫煙被害を受ける危険性が高い。また私自身も歩行中に、まともにケムリをくらうことがある。【この問題は5月27日の日記でも指摘した。】
 もう1つの問題は、Bの位置で右折して県道に出ようとしている車。赤い円内の標識にあるように、車が待機している場所は、右から左方向への一方通行の道路上であり、右方向に曲がる行為は一方通行路の逆走に相当する(現にこの時、反対車線の右折車がこの車に妨害されて進入できない状態にあった)。この道路は、半田山植物園前から県道に繋がる一方通行路であるが、地元の運転者以外は事情を知らないドライバーが多く、ウォーキング中に何度も逆走を見かけたことがあった(もちろん、間近で逆走してきた時には合図をして一方通行違反であることをお伝えしている)。

2020年8月22日(土)



【連載】#チコちゃんに叱られる!アフォーダンスとフローによる「なんで子供は縁石の上を歩きたがる?」の説明

 昨日に続いて、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。本日は、
  1. 肉じゃがって、なに?
  2. お地蔵さんって誰?
  3. なんで子供は縁石の上を歩きたがる?
  4. なんで指揮者は手を振る?
  5. なんで夏に怖い話をするの?
という5つの疑問のうち3.の「なんで子供は縁石の上を歩きたがる?」について考察する。

 番組で正解とされたのは「限界に挑戦して己の能力を高めるため」であり、より詳しくは、
  1. 新たなアフォーダンスの発見。赤ちゃんはアフォーダンス(動作の手がかりを与えてくれる環境や特徴)を発見することによって新たな動作を学習する。子どもにとっては縁石がアフォーダンスの対象になっている。普通の道には歩きのアフォーダンスがある。道にブロックがあればブロックの上を歩くという新しいアフォーダンスを発見。【子どもは】新しいアフォーダンスを発見して挑戦することで能力を高めようとする。
  2. フロー体験。簡単な挑戦では退屈となり、難しい挑戦では不安となる。限界ぎりぎりの挑戦をすることで楽しさ・充実感を得ることができる。楽しさや充実感を求めて繰り返しフロー体験に入ることで、人は結果として能力の限界を超えて成長できる。歩き始めた子どもは歩くだけでフロー体験に入り自分の限界を超えて成長できるが、もう少し大きな子どもになると、平らな道をただ歩くだけでは成長できず退屈になる。そこで歩く以外のことに挑戦してフロー体験を感じようとしている。
  3. いわゆる「ごっこ遊び」のような想像(「縁石を踏み外したらワニに食べられる」「マグマに落ちちゃうぞ」など)を加えることで効果的にフロー体験に入ることができる。
  4. 大人にとって歩くことは単なる移動手段となる。人に見られると恥ずかしいこともあって縁石の上は歩かないが、人によってはフロー体験に入る人もいる。番組では、横断歩道の白線の上にきっちり足を合わせるように歩く映像が紹介された。こういう人は「自分の限界を超えようとしている」と説明された。

 以上は聖隷クリストファー大学・細田直哉先生による説明であった【あくまで長谷川の聞き取りによるため不確かな部分あり】。この先生は、どうやら、ジェームズ・J・ギブソンの「本来のアフォーダンス」もしくは「ノーマンの誤用としてのアフォーダンス」、さらにミハイ・チクセントミハイフローの概念を取り入れた新たな発達心理学の構築をめざしておられる新進気鋭の若手心理学のようである。1つのアプローチとして、今後のご活躍に期待したいところではある。

 しかし、長年、行動分析学的な立場から人間の諸行動を捉えてきた私としては、なんで「アフォーダンス」とか「フロー」という概念を付け加える必要があるのか、単に、「強化」「シェイピング」「自然随伴性」といった概念だけでも説明できるではないか、という疑問をいだかざるを得ないところがある。

 今回の説明は「限界に挑戦して己の能力を高めるため」とされていたが、これは少なくとも表現上は目的論的な説明になっている。しかし、「己の能力を高める」行動は人間以外の動物でも広く見られる(例えば獲物を獲る行動、高い崖を登る行動、スキナーボックスで見本合わせ課題を遂行する行動など)。動物は別段「己の能力を高めよう」として行動を精緻化しているわけではない。シェイピングや分化強化、弱化などのプロセスを通じて、結果として己の能力が高まっただけに過ぎない。その際、アフォーダンスやフローという概念は冗長であり、オッカムの剃刀でそぎ落とされるであろう。

 こちらの記事で坂上貴之氏がちょっとだけ触れておられるが、Gibson J. J.のアフォーダンスやそれに影響を受けたNorman, D.のデザイン論などの考え方は、これまでも決して行動分析学に影響を与えなかったわけではない(Morris, 2009)が、その実験や概念を大きく変えていくほどの力は持っていなかった。その1つの理由は、こうした概念の示す環境と個体との相互関係を、組織的実験的に変容する手段を当時の私たちが持っていなかったためであると考えられている。なお、このリンク先では、〈弱いロボット〉と自発促進随伴性に関する興味深い議論がある。

 では、元の疑問はどう説明すればよいのか、ということだが、子どもが縁石の上を歩くという行動は、公園の遊具で遊ぶ行動の般化として捉えることができるだろう。滑り台、ブランコ、ジャングルジムなどはそれぞれ、特定の行動に対してそれぞれ「滑る時の加速度」、「揺れ」、「高い位置に到達」といった結果(=自然随伴性)によって強化されている。縁石の上を歩く行動も「バランスを取りながら渡りきる」という結果によって同じように強化される。但し、例えば、車道と歩道の境界の上にある縁石とか、崖の上にある縁石などを歩くことは危険なので、禁止される場合もある。行動が強化されるのは特定の文脈に依存しているとも言える。また、そういう中で、自ら、あるいは友だち同士で「ごっこ遊び」をすることもある。これは付加的な強化にあたる。縁石の上を歩くスピードを競うのも付加的強化。

 アフォーダンスについては、2019年9月28日の日記でも私なりの考えを述べたことがある。工業デザインとして、使いやすい道具、エラーの起こりにくい道具を開発する上では有意義な成果を得られることはあると思うが、人間や動物が環境刺激の一部(オペランダム)に働きかける行動というのは、刺激の特性だけで決まるわけではない。最初は目立たない刺激であっても、その刺激に特定的にかかわることが強化されていけば、その刺激は重要なオペランダムになりうる。例えば、露店の店頭にある二次元バーコード(例えばこちらの上から5枚目や、こちらの上から10枚目の写真)は、スマホで決済をしている人であれば、大いに目立つし、すぐにスマホを近づけてみたくなるであろうが、私のようにスマホを全く使わない者にとっては、単なる模様の一部にしか見えない。

 ま、いろいろ書いてみたが、「「保育」の場=「環境を通した教育」の場である。しかし、保育を語るとき、「心」に関する言葉は豊富にある一方で、「環境」に関しては「失語症」状態である」というご指摘はまことにもっともである。乳幼児期において多様な行動を発達させていくためには、多様なオペランダムが必要であることは間違い無い。但し、例えば、ある子どもがジグソーパズルに全く興味を示さなかった場合、アフォーダンスやフローの立場ではどうやって興味を持たせることができるのか若干心もとないところがある。これに対して、行動分析学の手法を使えば、たぶん、かなりの成功率で子どもに興味を持たせることができ、かつ、他者から褒められなくてもより高度なパズルに挑戦するように誘導することができると思う【現在、自分の孫たちを相手にこの試みを実証したいと思っているが、新型コロナウイルスの影響で全く会えていない】。

 次回に続く。