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【連載】#チコちゃんに叱られる!「なんで数学を勉強するの?」 昨日に続いて、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。 本日は、9月18日に初回放送された、
番組では「論理的な思考が身につくから」【数理物理学専門、東大先端科学技術研究センターの西成教授】と説明された。 番組ではまず、算数と数学は学ぶ目的が異なっており、算数は「日常生活で使う計算力を養う」、数学を学ぶ目的は「問題を整理して答えを導く論理的な思考(道筋を立てて考える)を身につける」ことであると説明させた。 続いて、
番組ではさらに、三角比に基づいて、身長、富士山、東京タワーなどの高さを測る際に、直接測らなくても、三角定規がピッタリ重なる地点までの水平距離を測れば求められるという例、また、ビートたけし監督は映画の撮影で、 (ロケ地A)(シーンP)+(ロケ地B)(シーンQ)+(セット)(シーンR)+(ロケ地A)(シーンS)+(ロケ地B)(シーンT)+(セット)(シーンU) というような展開を、 (ロケ地A)(シーンP+シーンS)+(ロケ地B)(シーンQ+シーンT)+(セット)(シーンR+シーンU) というように、撮影場所ごとにまとめて撮影することで効率化を図っており、西成教授との対談で、たけし監督自身がこれは因数分解だと語っておられたというエピソードが紹介された。 ここからは私の感想になるが、学習指導要領などでは、「論理的思考力の育成」が数学教育の目的の1つに挙げられていることは確かであるとは思う。しかし、そもそも「論理的思考力」とは何か、また、現行の数学教育が本当にその「論理的思考力」の育成に役だっているのか、については十分には検討されていないように思われる。 例えば、高校の数学は選択科目ということにして、他に、「クリティカルシンキング」、「弁論・反証技術」、さらには「詰将棋」というような科目を新設し、そのいずれか1つを選べるようにしたとする。卒業直後の「論理的思考力」を何らかの形で測定した時に、数学選択者が最も高いスコアを獲得できるのかどうかはやってみなければ分からないところがある。というか、それ以前の問題として、何をもって「論理的思考力」とするのか、因子的に妥当な概念であるのか、どうやって測定できるのかということをしっかり議論しなければならないだろう。 しかしそういう疑問点があるにもかかわらず、数学が必須科目として取り入れられているのはなぜか? これには別の理由があるように思われる。 一番の理由として考えられるのは、 ●理数系の諸分野のみならず、心理学や社会科学において、数学的な手法(統計学など)は不可欠となっており、大学進学時にそれらの分野で学ぶためには、高校段階でしっかりと数学を学んでおく必要がある という点にあるのではないかと考えられる。 じっさい、心理学においても、質問紙調査に基づく研究では統計的解析が不可欠となる。それらの解析法の原理を十分に理解せずに、分析の手順だけを機械的に当てはめようとすることはしばしば誤用に繋がる【こういう指摘をしたこともあった。最近では、有意差検定に代わってベイズ的アプローチが推奨されているようだが、これまた、高校卒業までに数学をしっかり学んでおかないと理解できないであろう】。 しかし、だからと言って、どうしても数学が苦手な人たちに無理やり数学を学ばせる必要があるのかどうかは別問題であろう。冒頭のほうに挙げた「お小遣い1000円」の事例は別段、方程式を使わなくても解くことができるし(西洋でのおつりの計算のように、500円に達するまでお菓子を足していけば、方程式どころか、かけ算や引き算を知らなくても、足し算だけで答えは出せる)し、料理や映画撮影での効率化は、因数分解を知らなくても経験の中から編み出すことができる(←数学は、もともと日常生活での効率化の手法として編み出され、抽象化されたものではないのか)。 ということで、結局のところ、
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