【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(12)確立操作に関する1999年のシンポ(3)ルールと確立操作
昨日に続いて、1999年に日本行動分析学会第17回年次大会(北海道医療大学)で行われた、
●「動機づけ」の行動分析:確立操作の概念の再検討と応用可能性
というシンポについての話題。
長谷川の話題提供(抄録の26ページ)では、確立操作概念導入の有用性として、もう1つ、
●ルール支配行動において、「ルールとは、そのルールに従わないことを嫌子にするような確立操作 (である)」と考える立場
に言及していた。この立場は、前年に刊行された杉山ほか『行動分析学入門』(産業図書)の312〜313頁のあたりで詳しく論じられている。該当部分を抜粋させていただくと【長谷川による改変あり】、
- 「ルールとは行動随伴性を記述したタクトが生み出す言語刺激」
- 「この章を読み終らないと、次の試験に合格できない」と考えるのは行動とそれがもたらす
結果であるから、行動随伴性である。考えるということは、言語化することである。だから、
そう考えたということは、随伴性を言語化した、つまりタクトしたことになる。これはルールだ。
- タクトした後は、勉強以外のことをしていると、不安になってくるのではないか? つまり、ルールを作った後は、ルールに述べられた行動以外のことをすると、不安という嫌子が生み出される。 (この嫌子は、 日常用語では「恐怖心」 「罪の意識」 「あせり」と言われることもある。 )
- だから、ルールを作ることは、阻止による強化の随伴性において、電気ショックのスイッチ
を入れるようなものだ。ルールに従って勉強にとりかかれば、嫌子(不安やあせり)がいくらか減少する。そして、勉強が完全に終ると、 自分で作った嫌子を完全に阻止できる。
- したがって、ルールとは、そのルールに従わないことを嫌子にするような確立操作といえるのではないだろうか?
- こう考えると、強化モドキの背後には、ルール支配行動を制御している直接効果的な随伴性(すなわちモドキではない強化そのもの)があるということになる。
- 試験に落第するという結果は、試験勉強からは時間差がありすぎて、試験勉強を直接制御しえない。落第の随伴性はモドキである。しかし、すべてのオペラント制御には直接効果的な随伴性があるはずだ。だから理論的には、ルール支配行動を制御する直接効果的な随伴性として、当の本人が作ったルールに起因する、習得性嫌子の出現を阻止する随伴性が想定される。
世俗心理学(素朴な心理学的理解)では「この章を読み終らないと、次の試験に合格できない」と考えた人が勉強に専念するのは、「そのように考えたから行動しているのだ」、「自覚ができているからだ」と説明されるが、中には、勉強を先延ばしして遊ぶ人もいる。そういうケースについては「自覚が足りない」、「やる気が無い」、「根性が無い」と説明されるが、じゃあどうすればいいかと言われても「もっと自覚しなさい」、「やる気を出しなさい」と言われるばかりで改善に繋がらない。
いっぽう行動分析学的な理解では、「この章を読み終らないと、次の試験に合格できない」というのは随伴性を記述したタクト、つまりルールにあたると説明される。しかしルールは、スローガンのように大書して壁に貼りつけたとしても、それだけで実行されるものではない。
- ルールが守られるためには何らかの直接効果的な随伴性が関与しているはずだ。
- 上掲の例では、「この章を読まない」という事象は弱化子(嫌子)として機能する。
- 「この章を読み終らないと、次の試験に合格できない」というルールは「この章を読まない」という事象の弱化子(嫌子)としての機能を確立しているので、定義上、確立操作に相当する。
- その弱化子(嫌子)の出現を阻止する随伴性によって、勉強行動は遂行(強化)される。
と考えることで、(その勉強が好きではないのに)一生懸命勉強するという行動が説明できる。
上記の説明は、少なくとも私の人生にはよく当てはまるところが多いように思われる。
- 「この科目を勉強しないと高校を卒業できない」というルールのもとに、地理、歴史、古文、漢文など、(少なくとも当時は)好きでもない科目の勉強をした。
- 「これを勉強しないと院入試には合格できない」というルールのもとに、難解な西洋哲学史関連の英語を勉強した。
- 「これを書かなければ研究費を獲得できない」というルールのもとに、面倒な科研の申請書を作成した。
などなど。ま、隠居人として回想してみるに、私の人生における努力のかなりの部分が、習得性弱化子(嫌子)の出現を阻止する随伴性によって維持されてきたという可能性がある。
「習得性弱化子(嫌子)の出現阻止の随伴性」は、優勝を目指すスポーツ選手の練習行動などを支えているが、反面、そのことに囚われすぎて、マインドコントロールにはまる恐れもある。カルト宗教や自爆テロなどもその1つであろう。さらに、「恐怖心」 「罪の意識」 「あせり」が極端になると適応的な生活が送れないという弊害も出てくる【ACTの入門書などを参照】。阻止の随伴性に基づく行動改善は、諸刃の剣という特徴があるように思われる。
不定期ながら次回に続く。
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