Copyright(C)長谷川芳典 |
10月7日の夜明け前は、多少雲が出ていたものの、最接近(10月6日23時18分、約6207万km、マイナス2.6等)直後の火星や、月齢19.3の月、金星とレグルスなどを眺めることができた。 写真左は火星と月、写真右は金星とレグルス。 国立天文台の記事にあるように、今回は準大接近。この先、2033年に6328万km、2035年に5691万kmとなるが私自身はかなり高齢となり果たして生きているかどうか分からない。 なお、私が最も印象に残っている火星はチチカカ湖の太陽の島から眺めた時のことで、この年は過去6万年でもっとも近い、5575万8006キロまで大接近していた。 |
【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(21)セッティング事象とは何か?(7)形態的な性質と機能的な性質 昨日の続き。少々脱線したが、再び本題の、 武藤崇 (1999).「セッテイング事象」の概念分析一機能的文脈主義の観点から一. 心身障害学研究, 23, 1313-146. に戻る。なおこの論文はつくばリポジトリから無料で閲覧できる。 武藤論文の137頁からは、Morris(1982)の、 Morris,E. K. (1982) Some relationships between interbehavioral psychology and radical behaviorism. Behaviorism,10,187-216. という論文が取り上げられている。モリスの論点は、
武藤論文では続いて、Leigland(1984)の論文が紹介されている。なおこの論文はこちらから無料で閲覧できる。 Leigland, S. (1984) On “setting events" and related concepts. The Behavior Analyst, 7,41-45. 武藤論文によれば、LeiglandはWahlerら(1981)の論文の概観し、 問題の焦点は応用場面で分析の対象になる環境的変数の種類を拡大することが賢明か否かではなく、セッテイング事象のような用語の基で Wahlerらが指摘するような変数の効果を分類することが賢明かということであると述べた。つまり、 Wahlerらの論文でのセッティング事象という用語については、形態的な性質が多く述べられ、また機能的な性質についても条件性弁別刺激や遮断化・飽和化の変数などを包括していて不明確なものであると指摘した。 To summarize, it is proposed that we should approach the term "setting events" with great care primarily because the functional nature of the term is unclear. In the review provided by Wahler and Fox (1981), no particular controlling relation is identified with the term. Instead, the term appears to be characterized in terms of topographical features of environmental variables, such as complexity, temporal delay of effects, presence/absence-of-object, and so on. The functional relations that are subsumed by the term include what may be complex or conditional discriminative stimuli, deprivation/satiation variables, and perhaps others left unspecified. ここからは私の感想になるが、形態的な性質(topographical features)と機能的な性質(functional nature)の区別というのは、徹底的行動主義の本質にかかわる問題でもあり、かつ、もしかすると永遠の課題であるようにも思う。9月11日や9月12日の日記でも述べたが、私個人は、手続段階での用語体系と、理論段階での用語体系は分けて考える必要があると考えている。 例えば、「面接場面で、(これがセッティング事象の例として妥当かどうかは分からないが)テーブルの上にラベンダーの花を飾ったところ、花を飾らなかった場合と比べて、和やかに面談ができた」という場合、「ラベンダーの花を飾る」というのは手続段階の用語であり、かつ、再現可能な操作であると言える。しかし、ラベンダーの花そのものが「和やかな面談」をもたらしたのかどうかは分からない。
とはいえ、とりあえず「ラベンダーの花を飾る」ことが有効であると確認されているなら、実践場面では花を飾ればよいのであって、それ以上細分化して要因を探る必要は無いだろう。つまり、再現可能な形で形態的な性質が特定されていれば、実践的には問題ないとも言える。 もう1つ、これは以前、私自身が担当する授業の中で挙げた以下のような事例である。 ある男子中学生の学力向上のために、男子大学生に家庭教師を依頼したがいっこうに改善は見られなかった。そこで、この男子学生をクビにして、ある女子大学生に家庭教師を依頼したところ、抜群の向上が確認された。この場合、実践段階としては、「この女子大学生の指導は男子中学生の学力向上にとって有効」であるということさえ確認できれば何ら問題ない。その原因が、
とにかく、一般論として、何かを始める時の手続段階では、形態的特性に頼らざるを得ないのであって、理論段階(プロセス)の把握は、それを始めてしばらく経ってから少しずつ明らかになるものである。 不定期ながら次回に続く。 |