じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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半田山植物園の温室内に咲くウツボカズラの花。地味だと言われるが、接写してみるとなかなか趣のある形をしていることに気づく。

2021年1月16日(土)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(46)杉山尚子先生の講演(11)佐藤方哉先生の研究(5)

 昨日に続いて、

●佐藤方哉 (2007).見本合わせは条件性弁別であろうか?―概念分析―. 帝京大学心理学紀要, 11, 1-8.

の話題。

 佐藤先生は、
  1. ネコの絵が提示された時は右手を上げる。イヌの絵が提示された時は左手を上げる。
  2. ネコの絵が提示された時はパネルを押す。イヌの絵が提示された時はレバーを引く。
  3. ネコの絵が提示された時は青いパネルを押す。イヌの絵が提示された時は赤いパネルを押す。
という3つの事例は、一般には、
  1. 単純継時弁別【Go/No-Go型見本合わせの複合】
  2. 単純継時弁別【Go/No-Go型見本合わせの複合】
  3. 条件性同時弁別【選択型の同時見本合わせ課題】
というように分類されるが、「これらの三つの課題はいずれもネコの絵とイヌの絵の弁別であって、その論理構造はすべて同一であるように思われる。」と指摘しておられた。

 さて、この3つの事例を関係反応という観点から捉えるとどうなるだろうか?
 素朴に考えると、
  1. ネコの絵が提示された時は右手を上げる。イヌの絵が提示された時は左手を上げる。
    →「ネコならば右手」、「イヌならば左手」という関係反応
  2. ネコの絵が提示された時はパネルを押す。イヌの絵が提示された時はレバーを引く。
    →「ネコならばパネル」、「イヌならばレバー」
  3. ネコの絵が提示された時は青いパネルを押す。イヌの絵が提示された時は赤いパネルを押す。
    →「ネコならば青いパネル」、「イヌならば赤いパネル」
という恣意的に設定された関係反応の学習課題であるように見える。しかし、個別に考えてみると、「ネコならば右手」、「ネコならばパネル」、「ネコならば青いパネル」という課題は、いずれもある刺激が提示された時に特定の反応をするという個別の弁別課題であって、イヌの絵についての学習とは独立しているようにも見える。また、これらはスキナーの言語行動の分類で言えばタクトに相当している。なので、佐藤先生が指摘しておられるように「タクトは、いうまでもなく条件性弁別オペラントではなく単純弁別オペラントであるから、複数のタクトとみることのできる恣意的見本合わせは、条件性弁別ではなく複数の単純弁別とみなさなければならない。」ということになる。

 そもそも条件性弁別とは何か?ということになるが、weblioでは、
球と立方体が被験体に提示され、装置が明るく照明されている時には球を選ぶ一方、暗く照明されている時には立方体を選べば、常に強化が与えられる。
という例が紹介されていた。この例では、球を選ぶか、立方体を選ぶかという行動がそれぞれ強化されるかどうかは、明暗に依存しており、ただやみくもに球だけを選んだ場合は50%の確率でしか強化されなくなる。関係反応として記述するならば、

「球を選ぶかどうかという反応は、明暗という刺激に依存している」→「明暗という刺激の観点から、球という物体に反応する」→「明るいならば球」という関係反応

ということになる。もっともこれも、照明が明るくなったということを、球を選ぶという反応でタクトしていると考えることもできないわけではない。

 昨日も述べたように、人間や動物の(オペラント)反応の殆どは外界への働きかけであるゆえ、外界事象とセットにしなければ定義できない。「球を選ぶ」、「立方体を選ぶ」という反応は、それぞれ個別の反応として定義することもできるし、「物体を手に取る」という一般的な反応があって、反応は1種類だが、形を手がかりとして弁別行動として生じている、と考えることもできる。ここでもう1つ、オペランダムという概念をどう捉えるかという問題があるが、これについては次回に述べることとしたい。

 不定期ながら次回に続く。