じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月18日に続いて「ダイヤモンド備前富士現象」の写真。日の出の方位が北側に移動し、あと少しで頂上付近からの日の出が見られるようになってきた。

2021年2月20日(土)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(56)杉山尚子先生の講演(21)杉山×武藤対談(6)「刺激はハトが選ぶ」

 2月18日の続き。

 対談の中で、弁別刺激は「Sを提示した時に反応すれば強化、SΔを提示した時に反応しても無強化」というように実験者側から手続的に定義されているが、本来は、行動する側が手がかりとして利用するものであると強調された。
 このことに関して杉山先生御自身の修論の口頭試問において、修論のタイトルをめぐる興味深いエピソードが紹介された。修論のタイトルは、ハトが弁別刺激を選ぶことを示唆するものであったが、審査委員は、刺激は実験者が提示するものであるゆえ、そのようにタイトルを変更すれば95点だが、変更しなければ85点だと言われたそうである。しかし杉山先生は85点で結構ですといってタイトルを変えなかった。のちになってから、審査委員の先生から「あなたのほうが正しかった」と謝られたという。
 上記に関連した議論については2020年12月18日にも私の考えを述べたことがあり、ここでは繰り返さない。但し、「【ハトを被験体とした実験では】弁別刺激はハトが選ぶ」という表現は、誤解を招かないよう、配慮が必要である。ここで言われているのは単に「実験者が刺激の提示操作をしたからといって、被験者や被験体は提示操作をそっくりそのまま利用するわけではない」ということである。「ハトが選ぶ」というと何だか、ハトの自由意志に基づいて選ばれるような印象が生じてしまうが、ハトがどのように選ぶかということは環境側の刺激条件や個体の弁別学習の履歴によって決まってくるのであって、自由意志なるもので選択が揺らぐことはない。そう言えば、少し前のNHK「ヒューマニエンス」で「“自由な意志”それは幻想なのか?」という話題を取り上げていたが、どうやら脳科学の最新の知見においても、脳などの神経生理的な活動から独立した「自由意志」なるものは存在しないことが明らかにされつつあるようである【この番組については後日、感想を述べる予定】。
 なお、対談の中で、「S+」や「S-」という集合の中に「S」や「SΔ」が部分集合として含まれるという話があったが、賢いハンスの例のように、想定外の刺激が弁別刺激として利用されることもある。動物を被験体とした迷路の実験などでは、前の試行の際に迷路内についたニオイとか、ゴールに置かれた餌のニオイなどにも注意を配る必要がある。

 以上から少し脱線するが、「刺激と刺激の関係」という概念と「関係反応」という概念についても同じようなことが言える。そもそも、ある刺激Aと別の刺激Bの間には、唯一無二の関係が固定的に存在しているわけではない。AとBをどのように関係づけるのかは行動する側の問題である。とはいえ、どういう関係反応が生じるかとか、それに伴ってどのような刺激機能が変換されるかということは、行動する側が気ままに選んでいるわけではない。文脈によってコントロールされているのである。

 不定期ながら次回に続く。