じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



02月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 備前富士(芥子山)の頂上からの日の出が2月23日で終了し、2月25日は北側山麓からの日の出が見られるようになった。2月18日以降の8日間、日の出の写真の撮影を続けてきたが、曇っていて見られなかったのは2月19日のみ。さすが晴れの国おかやまである。

2021年2月25日(木)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(58)杉山尚子先生の講演(23)杉山×武藤対談(8)1975年の『心理学評論 オペラント特集号』

 昨日の最後のところで言及したように、Skinnerの研究の発展の経緯は、

佐藤方哉 (1975). オペラント行動と実験的行動分析――この双生児の来し方行く末――. 心理学評論, 18, 129-161.

に詳しく記されている。

 上掲の論文は、心理学評論の特集号「オペラント」に掲載されたもので、特集の編集者は本吉良治先生であった。本吉先生の「特集のことば」の冒頭のところでは、
心理学者で,もしノーベル賞を受ける人があるならば,それはSkinner, B. F.であろうという話しを聞いたことがある。
さらにSkinnerの研究の意義を、
...他方, スキナアの独創的な,精緻を極めた広大な業績はノーベル賞に価するとひそかに思う。賞など俗なこと,ともあれ,彼の仕事は行動研究史上不滅なものであることは間違いない。その理由として(1)行動主義を徹底した。それによって,心の現象をすべて実証の水準で論じることを可能にした。Hull, C・,Spence, K. W., Tolman, E. C .といった人々によってきづきあげられた新行動主義の不徹底さを許さなかったことである。たとえば強化のContingency(随伴)によって,Hull のいう動因解除,Tolman のいうCognitive Map の成立という,いわゆる仮説構成体,あるいは媒介変数を避け,強化のContingencyによって生じるのは反応の増加,ないし,維持であるとした点である。(2)としては,生物の行動の単位を確立したことである。Behavior(行動)とは,もともとふるまいというのが正しい意味であろう。もののふるまいの法則が物質科学であり,動物つまり,うごくもののふるまいが心理学(行動科学)である。うごくもののふるまいの特色は環境とのふれあい,ないし,働きかけである。後者がスキナアのいうオペラント行動である。
というように高く評価しておられる。
 この特集号の発行年は1975年であるが、当時、『心理学評論』がスケジュール通りに刊行されていたのかどうかは不明である[]。いずれにせよ、1974〜1975年と言えば私が本吉教授のもとで卒論研究に取り組んでいた時期であり、私のテーマは、マッチングに関するものであった。
]佐藤先生の論文に「受付1976. 9. 6」とあることから、1976年に刊行されたものと推定される。

 この特集号には、小川隆先生の、

日本におけるオペラント条件づけの諸研究

という論文があり、当時の日本で、オペラント条件づけの研究がどのように行われていたのかが詳しく紹介されている。小川先生御自身の研究については失礼ながら私は殆ど存じ上げていないが、確か、慶應大学定年退職時に弟子たちによる記念論文集が刊行されており、錚々たるメンバーが執筆しておられたと記憶している【この論文集は、確か、浅野先生に読ませてもらったことがあった】。小川先生が亡くなられた時の佐藤方哉先生による追悼文はこちらにある。今回の対談では、Skinner―佐藤方哉―杉山尚子という世代の継承や、望月昭先生のことが語られていたが、私の印象では、佐藤先生が『判心術』から真面目路線に転じたとされる1980年より以前から、すでに慶應大学において行動分析学を推進する動きがあったことは間違い無いように思う。

 同じ特集号には、浅野先生の、

ニホンザルの実験的行動分析における理論的展開

という論文が掲載されている。ここでもまた、オペラント行動について詳しく考察されている。なお、私が執筆を担当させていただいた『行動分析学事典』の『徹底的行動主義』の項目でも言及しているが、上記の浅野論文では「徹底的行動主義」という言葉が初めて登場している。その後、同時期に、「徹底的行動主義」という言葉を使っていた心理学者(但し、行動分析学者ではない研究者)が他にもおられたという情報をいただいたこともあるが、少なくとも、行動分析学の研究者の立場から「徹底的行動主義」という呼称を使ったのは浅野先生が初めてであったことは間違いなさそうである。

 ということで、Skinnerが日本に与えた影響を精査する上では、「杉山×武藤」で語られた内容のほか、1960〜1970年代の諸研究にも注目する必要がありそうだ。

不定期ながら次回に続く。