じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨年12月以降、低脂肪牛乳+スキムミルクでヨーグルトの自家再生産を続けているが、最近になって、牛乳パック上部が「あけくち」側と、そうでない側に分かれていることに、ふと気づいた【写真A】。
 ネットで検索したところ、こちらに詳しい解説があった。要するに、牛乳パックは1枚の紙を成形し、のりしろを貼り合わせて作られているが、「のりしろは、注ぎ口部分にもあります。貼り合わせた部分は、紙が二重になります。一方、開け口の表示がある方は、二重になっていません。つまり、開けやすい構造を、開け口として表示していたのです。」とのことであった。【写真Bの矢印の先が二重部分と思われる】。
 「あけくち」の反対側には「リサイクルありがとう」というメッセージが記されていることも確認できた【写真C】。

 なお、以上に関連して、「牛乳パックの上部にあるくぼみは何ですか?」という謎があることを初めて知った。リンク先にあるように、「このくぼみは「切欠き」と呼ばれ、バリアフリー対応として目の不自由な方や高齢の方が不便を感じないよう、平成13年12月から乳業メーカーで本格的に導入されました。"とのこと。「切欠き」が付くのは、500ml以上の屋根型の紙パックの「種類別:牛乳」で、加工乳や乳飲料には付いていないという。念のため、近くのスーパーに寄ったところ、大手メーカーの成分無調整牛乳には「切欠き」がつけられていることが確認できた。但し、地元メーカーの商品は成分無調整牛乳であっても「切欠き」はつけられていなかった。

 いずれ「チコちゃんに叱られる!」ネタになるだろう。

2021年3月19日(金)




【連載】まいにち養老先生の名言(6)「冬を仰ぐ」その2 老化と現実感の調整

 3月18日に続いて、養老先生の番組の話題。

【1月29日放送】レギュラー番組への道 まいにち 養老先生 ときどき まる「冬を仰ぐ」

の後半では、「老化」について、

●要するに、成長していくことと歳をとることは同じ原理。初めの状況を成長と言って、終わりの状況は老化と言っている。

さらに、老化に伴う腰の痛みに関連して、
難しいことを言うと、腰の痛みの8割は腰が悪いんじゃない。「腰が痛い」と“頭が”言っている。「痛い」というのは脳みそ。頭は変な癖があって、脳のバランスが悪いと脳みそが体の痛みとして訴えることが多い。脳は勝手に腰が悪いせいにする、調子が悪いのを。...脳みそは、自分自身のことを伝えるのは非常に難しい。脳自身をいじっても痛くない、痛みの神経が来ていないから。頭が痛いっていうのは、脳の外の出来事。血管とか髄膜とかね。我々の体は脳みそに割り付けられている。でもその基本になっているのは体だと分かるはず。脳みそは体の中に置かれている。脳みその直接の環境は体。
と語っておられ、「視点を変えてみれば、脳みそは体の一部に過ぎない」というナレーションが入った。

 このことに関連するが、昨年12月14日に放送されたNHK「ヒューマニエンス」で、

「“腸” 脳さえも支配する?」

という話題を取り上げていたことを思い出した。「人格」や「感情」、「好み」といった脳の本能的な部分に、腸が深く関わっている、という興味深い話題。また、同じく、

11月26日に初回放送された、

「“自由な意志” それは幻想なのか?」

によれば、脳が司令塔となって意思決定や選択が行われるのではなく、それ以前に体が決定を下しているということを示唆する研究結果が紹介されていた。これらの放送内容については別途、感想を書く予定にしている。

 元の「老化」に話に戻るが、養老先生は、
ものを考える“最終的な基準”は何か? 人が考える時の基準、それはだいたい“自分の体” 体が変わらないものとすれば、それの言うことに素直に従っていればいい。身体が暗黙の基準、理屈じゃないから。
という持論が語られ、「老いや病、人に訪れる変化の基本は体」というナレーションで締めくくられた。
 このあたりのお話は私もほぼ納得できる。但し、放送内容とは関係無いが養老先生が愛煙家ということで敢えて申し上げるならば、、「タバコを吸いたいと思った時には素直にそれに従って吸えばいい」ということにはならない。「タバコを吸いたい」というのは、ニコチンに支配されているだけ。本来の体を取り戻す必要がある。

 番組の終わりのところでは、放送スタッフの「こういう仏さまを建てたり仏像を作るとかというのは何のためにやるのですか?」という質問に対して、
...文化は“解毒剤”だと言うんだけど、都市が発達するといろんなストレスがかかるでしょ。いろんなマイナス面が出てくる。それを消す装置。
一方で文化は“ゴミ箱”みたいな面もある。都会生活の面倒一切を放り込んじゃう。いま癒やしと言われているのはそういうこと。それが音楽になったり絵画になったり、いろんな催し物になったりする。
...脳みそは面白くて、長い時間そのことを考えたり感じたりしているとどんどん現実感が強くなってくる。脳みそはそうやって世界を作っちゃう。あんまり変なものに現実感が強く付いちゃうと具合悪い。バランスが変になってくる。それは仕方が無い。修正する唯一の方法は入ってくるものを変えてやること。【お寺の木の枝越しに空を眺めながら】こうやって空を見て木の枝を見ていると少し違ってくるんです。時々こういうものを見て、自分の中の現実感を調整したほうがいい。ビルとアスファルトと車が“世界”じゃないよって。
 そう言えば昨日、海保先生が「ニュース番組の過剰視聴は、心の健康のためならず」と書いておられたが、私自身がNHKオンラインなどを通じて入手しているニュースはもっぱら新型コロナ関連情報ばかりであり、それ以外の、過剰接待問題だとか、芸能界のスキャンダルだとか、社会面の記事、あるいは千葉県知事選挙で各候補者がどういう主張をしているか、といった話題は、聞き流すだけで殆ど記憶に残らない。唯一、新型コロナに関心があるのは、自分自身や家族の感染防止のため、さらに帰省や国内旅行、あるいは殆ど絶望的となった海外旅行再開などの可能性を探るためであって、これから人類の将来を憂うというところまで考えているわけではない。また、休園日以外にほぼ毎日、半田山植物園までウォーキングに出かけているのも、自分自身の現実感の調整には役立っているように思われる。

 不定期ながら、次回に続く。