Copyright(C)長谷川芳典 |
|
「接写で楽しむ雑草の花」。今回は、ノボロギク。ウォーキングコース沿いでは、10メートル歩けば1株は見つかるほど繁殖している。黄色い筒状花で、蕾のように見えるがこれが開花状態。 |
【連載】ヒューマニエンス「“死” 生命最大の発明」その1 2020年10月開始のヒューマニエンス〜40億年のたくらみ〜は、2021年4月10日までの時点で
上記の17本の中でも、加齢が進む私個人にとって最も切実なテーマは、今回【4月1日初回放送】の「死」をめぐる問題であると言ってよいだろう。 番組ではまず、死についての研究はそれほど進んでいないこと、その原因として、「死を経験した人はこの世にはいない。その人から聞き取りできない。」(東京都健康長寿医療センター研究所・遠藤昌吾先生)という点がある。いとうせいこう氏も、マルセル・デュシャンの言葉を引用し、「死ぬのはいつも他人。誰も体験できないままその周りを巡ることを続ける」と述べておられた。そう言えば、養老孟司先生も「死ぬのは必ず自分じゃない人。「死」は知り合いにしか起こらない。だから「死」は常に二人称。二人称の「死」は全然別で、これはまさに「死」だが、それは自分の死とは関係ない。自分の死はない。」と語っておられた。しかしそのいっぽう、「人は誰でも死ぬ」というのは経験的事実であり、これを否定する人はまず居ない。いま生きている人がすべて死ぬのかどうかは人類が滅亡するまでは確認できないが、哲学的な議論がどうあれ、いずれ自分は死ぬということを前提として日々の生活を続けていくことのほうが、自分は不老不死だという可能性を信じて生きていくことよりメリットが大きいことは間違いない。 番組では続いて、死のプロセスというのがグラデーションである(この瞬間に死んだというような、はっきりした境目がない)という事例がいくつか挙げられた。
上記のうち、4.については、生命維持装置を外した後に上昇する神経活動は、脳が生き返ったことを示すものではなく、ちょうど、線香花火や終末期の星が最後の輝きを見せるようなものであり、神経細胞が死んでいくプロセスを示していると説明された。 ここからは私の感想になるが、生と死の境目が瞬間ではなくグラデーションであるということはそれほど驚くには当たらない。一年生の植物が枯れる時の様子、あるいは、秋に紅葉が進んで落葉する様子などを見ても、それらは時間をかけて進行していくことが分かる。問題となりそうなのは、
もっとも、番組でもそのあとで取り上げられていたように、臨終間際にはエンドルフィンが放出されて恍惚状態になる可能性がある。また、死のグラデーションの過程で何らかの感覚があったとしても、それを言語化できなければおそらく苦痛としてもがき苦しむこともない【単なる「強い感覚」であって、苦痛にも快楽にもならない】という可能性はあるように思う。 次回に続く。 |