じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 4月15日から「バーチャルウォーキングラリー〜目指せ京都!あるく東海道五十三次〜」に参加しているが、5月17日の歩数登録時点で、ゴールの三条大橋に到着していることが確認された。順位は1051位/13771人,60代では310位、男性では568位であった。

 なお、ここでいうゴールというのは設定された28万2112歩を達成したという意味であり、実際の移動距離は197.5km前後に過ぎない(本当の五十三次の道のりは487.8km。)。なので、実際に4月15日に日本橋を出発して5月17日にゴールするためには、毎日2万1000〜2万2000歩程度歩く必要がありそうだ。


2021年5月18日(火)



【連載】#チコちゃんに叱られる!「怒ると叱る」「裸足と素足」「羽と羽根」「上野の西郷隆盛像」

 昨日に続いて、5月15日(土)朝に初回放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。

 本日は、
  1. なぜゼリーはフタまでパンパンに入っている?
  2. なぜアルファベットには大文字と小文字がある?
  3. 目指せサマーバケーション 働き方改革のコーナー「裸足と素足の違い」、「羽と羽根の違い」
  4. 西郷隆盛が犬を連れているのはなぜ?
という4つの話題のうち3.と4.について考察する。

 まず、3.の冒頭では、クイズに先立って「怒られること」と「叱られること」の使い分けについて言及されていたが、番組では解答は示されなかった。私自身の考えを述べれば、
  • 「怒る」というのは、当人の情動反応。これが他者に影響を及ぼした場合、他者の視点から見れば「怒られる」となる。
  • 「叱る」というのは、あくまで対象者に対する反応。対象者の視点から見れば「叱られる」となる。叱る人の情動反応(怒りなど)の有無は問わない。
  • 自分一人の時、怒ることはできるが、叱ることはできない【但し、「自分を叱る」ことはできる】。
ということになるかと思う。念のため『新明解』をチェックしたところ、
  • 「怒る(おこる)」:がまん出来なくて、不快な気持が言動に表われた状態になる。/目下の者などのやり方が悪いと言って、強い言葉でしかる。
  • 「叱る」:相手の仕方を、よくないといって、強く注意する。
というように区別されていた。

 続いて本題であるが、まず「外を○○で歩くと足の裏をケガするよ!」という時に、○○に入るのは「裸足(はだし)」か「素足」か?というクイズが出されていた。正解は、「裸足」であり、金田一秀穂先生によれば、一般的には、
  • 裸足:靴や靴下を履かずに、足の裏をむき出しにした状態
  • 素足:靴下や足袋などを履かずに、靴を直接履いている状態
として区別されているという。これも念のため、『新明解』でチェックしたところ、
  • 裸足:〔肌足の意〕履物を履かないで 地面を歩くこと(状態)。素足
  • 素足:(一)はだし。(二)足袋・靴下を履かない足。「素足に靴を履く」
となっており、履き物を履かないで歩く状態を「素足で歩く」と表現しても、必ずしも誤用にはならないように思われた。

 もう1つのクイズは、「ねえ見て。あそこにきれいなハネが落ちている」という時の、ハネは「羽」か、「羽根」か、というクイズであった。正解は「羽根」であり、金田一先生によれば、一般的には、
  • 羽:鳥や昆虫が空を飛ぶための器官・翼。体についているものを指す。
  • 羽根:鳥や昆虫から抜け出たハネや加工品。体から離れたものを指す。
というように区別されているという。もっとも『新明解』ほか複数の国語辞典でチェックした限りでは、上掲のような使い分けは明示されていなかった。いっぽう、ネット上で「羽と羽根の違い」というキーワードで検索したところでは、複数のサイトで上掲の金田一先生とほぼ同内容の使い分けが記されていた。ま、私自身の感覚として「鳥の羽」といった時は「鳥の翼」、「鳥の羽根」と言った時には羽毛を連想することもあるが、蝶やトンボの場合は、「羽根」のほうがよく使われるような気もする。

 「羽」と「羽根」の区別と言えば、小学生の頃に写生大会に行った飛行場は「羽田空港」と書くのに、近くにある羽根木公園のほうはなぜ「羽木公園」にならないのかということに疑問を持ったことがあったが、未だにその謎は解けていない。




 最後の4.「西郷隆盛が犬を連れているのはなぜ?」については、兎狩の姿だと思っていたが、今回の放送では「ダイエットをしていたから」と説明された。原口先生(志學館大学)によれば、『西郷隆盛全集』の中に、「太りすぎの西郷は医者にダイエットを勧められた」という記述があり、その際に犬を連れていたという。
 西郷の体格は、島流しにあった35歳頃には、身長180cm、体重80kg前後であったが、44歳頃には約110kgに達していたという。そのため、馬にも乗れず、速歩きの行進もできなかった。これを明治天皇が心配し、軍医のホフマンに診察を命じた。「脂質異常症」と診断された西郷は、
  1. 19世紀のヨーロッパで流行っていた糖質制限ダイエット(麦飯少しと鶏肉)
  2. 下剤の服用【現在では間違った方法とされている】
  3. 散歩(渋谷から代官山、駒場へのウォーキング。往復4kmを1日2回)
を実践した。この3.の時、犬を連れていた姿が銅像になったという。

 西郷は最期は反政府軍として亡くなったため、銅像建立の際に、西南戦争を連想させる軍服姿ではなく、犬を連れた姿が採用されたという。なお、ウィキペディアには
上野の西郷像は、西郷の妻・糸子の評言(詳細は次節参照)にある散歩している姿ではなく、愛犬をつれ、腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿である。この姿は大山巌がガリバルディのシャツだけの銅像から思いつき、西郷の真面目は一切の名利を捨てて山に入って兎狩りをした飾りの無い本来の姿にこそあるとして発案した。
という記述があった。ということで、散歩の姿なのか、兎狩に出かける姿なのかはよく分からないところがある。

 私自身が上野の西郷隆盛像を初めて見たのは1954年8月であったようだ。