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【連載】ヒューマニエンス90分SP 「人間を生んだ力とは?」その6 自己組織化 昨日に続いて、NHKヒューマニエンス〜40億年のたくらみ〜、 ●90分SP 「人間を生んだ力とは?」 についての感想と考察。今回が最終回。 番組では、腸、心臓、皮膚の独立性(「分権体制が命を動かす」)に続いて、「多様性の源は細胞にあり」という話題が取り上げられた。人間の1つ1つを形作っている細胞が自己判断をしているという内容であった。 私たちの体は37兆もの細胞の集合体である。受精卵が次々に分裂して、T細胞、心筋細胞、赤血球、皮膚細胞、精子、卵子というように多種多様な細胞が作られていくが、別段、現場監督、あるいは軍の指揮官によって、役割や任務が割り当てられているわけではない。IPS細胞として知られているように、ひとたび完成した細胞であっても、山中因子と呼ばれる4つの遺伝子を入れると受精卵に近い状態に戻すことができる。 石野先生によれば、細胞には自己組織化能力、つまり自由に振る舞っていても集団になると秩序を持つようになる現象があるという。なおウィキペディアでは、システム論の世代という形で、
もとの自己組織化の話題に戻るが、細胞分裂で数が増えてくると、細胞同士のコミュニケーションでいろいろな臓器や部位が形成され必要なところにはまっている。能町さんは、このことについて、アリの群れのような超個体との類似性を指摘しておられた。 「自己組織化」の議論は、「神の存在」にも関係してくるように思われる。カルト宗教の勧誘員などは、自己組織化は神によって与えられた力であると強調するかもしれないが、そこで仮定されている「神の力」というのは、人間の力の比喩表現にすぎず、何も予測できないし影響を与えることもできない。また、いくらお祈りしたところで、何かを変えることはできない。ま、これは定義上の問題でもあり、自己組織化やオートポイエーシスそのものが神であるとするなら、神は確かに存在するとも言えるが、それを崇拝してもしなくても、信者がいてもいなくても、何も変わることはない。けっきょく、説明概念としては冗長と言うことにならざるを得ないだろう。但し、だからといって宗教的行為がすべて無意味というわけではない。村祭などの共同作業や、個人の不安解消、集団内の衝突回避など、ツールとしての宗教にはそれなりに有用性があり、自己組織化の研究がどのように進んでも、それによって人々が無神論者になるというわけでもない。 もう1つ、今回のSPのメインテーマであった「多様性」であるが、これには、種多様性と、そこからの比喩的表現としての個体内の「多様性」があるように思う。前者については、私たち個人は、すべて、多様性の表現型の結果であって、それ自体は変えることができない。なので、多様性を尊重し公平平等を保とうとすることはできるとしても、他の個体の特徴と入れ替えることはできない。但し、私たちはオペラント条件づけを通じて多様な行動を身につけることができる。個人レベルでの多様性の獲得というのは、まさに、多様な学習、経験の結果であると言えよう。 |