じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 旭川土手で大繁殖するオオブタクサ(写真上)と葛(写真下)。それぞれ異なる場所に繁殖しているが、その境界地点では、せめぎ合いが続いている。オオブタクサが日本の侵略的外来種ワースト100であるのに対して、葛は日本原産で世界の侵略的外来種ワースト100選定種となっているところが興味深い。

2021年9月13日(月)



【小さな話題】Q〜未来のための対話 教えて!養老先生×落合先生(1)ロボットがいても勉強するの?

 NHK Eテレで8月23日19時25分〜19時55分に放送された、子ども向け番組の感想。番組の趣旨は、
●「Q〜子どものための哲学」に寄せられた「未来」についての疑問を先生たちにぶつける番組

となっていた。Q〜子どものための哲学という番組は、リンク先に紹介されているように2017年8月14日より放送を開始した小学生対象の教育エンターテイメント番組であるとのこと。河野哲也先生が監修されているとは知らなかった。これまで一度も視聴したことがないと思ったが、放送リストを見たところ、一度だけ「なんで裸ははずかしいの?」(2019年3月22日)という回を録画していたことが分かった。ガッツ石松さんが声の役をつとめておられるのも面白い。

 今回は、回答者に解剖学者・養老孟司先生と筑波大学准教授の落合陽一先生が出演されていた。両先生にはあまり共通点が無さそうな印象を受けたが、お二人ともネコが大好きであるという共通点があるようだ【もっとも、養老先生の「まる」、2020年12月に永眠されている。】

 今回の番組では、小学生たちから直接寄せられた疑問と、そのあとで要約された疑問に若干の不一致があり、何が本質なのか分かりにくいところがあった。

 最初の1.の疑問はもともとは、
たける(10)の疑問:未来になったらかしこいロボットができるはず。頭がよいので何でもやってくれるはず。【そうなった時】未来の子どもたちは何かを計算したり覚えたり練習して身につけたりすることってやっていくの?
というものであった。要約された疑問は「かしこいロボットがいるのに勉強しなきゃいけないの?」、さらに「ロボットがいても勉強するの?」と短縮化された。

 これに対して、落合先生は、「少なくとも覚える量は減っていくんじゃないか。頭の使われ方がずいぶん変わってきた」、また養老先生は、
僕は虫取りが大好きですが、人がよい虫をとってきても面白くない。自分で捕るから面白い。自分で虫取りのはそう簡単じゃない。行った先で迷子になるかもしれない。そういうことにどういうふうに対応するか自分で考えなければいけない。何でも好きなことをやろうと思う人は勉強せざるを得ない。
というように回答された。これについて落合先生は、そういう勉強のしかたは課題発見学習と呼ばれており、「学んでいくとは自分が興味があることをつきつめてやっていくこと」であると補足された。番組でまとめられた「先生たちのこたえ」は、

好きなことやりたきゃ、やっぱり勉強しないとネ。

となった。

 ここからは私の意見になるが、落合先生も指摘されていたように、科学技術が発展していくなかで、人間が基本的に身につけなければならないこと、自分の頭で記憶したり考えたりしなければならないことはずいぶんと変わってきたと思う。例えば、
  1. 大きな数の計算は電卓や表計算ソフトで用が足りる。
  2. 漢字の書き取りはFAPの漢字変換で十分。また日本語のFAPでは英単語に変換することもできるので、ややこしいスペリングを覚える必要はない。ATOKでは例えば「ヒヤシンス」を変換すると「hyacinth」とすぐに出てくる。
  3. 英文和訳や英作文も、DeepLなどの翻訳ツールを活用することでだいぶ楽になった。携帯翻訳機を使って音声で会話することもできる。もちろん、正確な表現のためにはそれなりに勉強する必要があるが、全員に義務づける必要はない。学校で生徒全員が長時間をかけて外国語を学ぶ必要は無いように思う。少なくとも教室の中、あるいは入試では、電子辞書や翻訳ツールを利用した解答を認めるべきである。
などなど。
 しかし、両先生が言っておられたように、自分で学ぶという姿勢は大切、というか、スキナーが論じたように人間の生きがいの本質は、「自分で行動し、結果として強化される」ことにある。どんなにAIが発達しても、自分で詰将棋を解く楽しさは変わらない。また、大相撲の力士をロボットに取り替えることはできない。この日記のタイトルに即して言えば、日々じぶんを更新していく姿勢が大切ではないかと思う。
 なお、この日記で何度も論じているように、「行動とその結果」には、
  1. 断片的に生じた行動の直後に結果(変化)が伴う場合【直接効果的な強化随伴性】
  2. いくつかの行動が連携し、中長期的に大きな結果(変化)をもたらす場合【巨視的な随伴性】
という2種類がある。人間の場合は、言語行動を介して2.のタイプの行動を続けることができる。その場合、個々の準備的・手段的な行動自体は必ずしも「楽しい行動」ではない場合がある。例えば、受験勉強は最終的に「合格」、「楽しい大学生活」、「更なる勉学の機会」といった結果によって強化されるだろうが、日々の勉強は義務的であり必ずしも楽しいとは限らない。スポーツ選手の場合も同様で、最終的には「優勝(金メダル)」、「世界新記録」といった栄誉で強化されるだろうが、毎日は辛い練習の積み重ねとなるかもしれない。

 なので、小中高で学ぶ内容の中にもそういった準備的・手段的な「楽しくない」勉強が含まれている可能性があり、ある程度は我慢して学ぶ姿勢が必要かと思う。例えば整数論の面白さを楽しむためには、やはり四則演算の基礎を身につける必要がある。子ども向けの話としては、山登りの途中の苦しさと、自分の足で頂上に達した喜びの例を挙げればいいのではないかと思う。

 次回に続く。