Copyright(C)長谷川芳典 |
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ベランダで育てている鉢花の水仙が一輪だけ開花した。ペチコート水仙(ナルキッソス・ブルボコディウム、ナルキッスス・バルボコディウム、【写真右】)を育てていたつもりだったが、咲いたのは、「ナルキッスス・ルビコラ」に似た形の花だった【写真左】。なぜ違う花が咲いたのか、謎である。 |
【連載】まいにち養老先生の名言(7)「冬を送る」 言葉の役割 3月19日に続いて、養老先生の番組の話題。 2月6日の日記に記したように、「レギュラー番組への道」のシリーズで私が録画しているのは、「めぐる春」、「冬を仰ぐ」、「冬を送る」の3回分であり、本日取り上げる「冬を送る」では、猫の「まる」との別れのシーンがあり、実質的にこれが最終回となっているようだ。 「冬を送る」の中で印象に残っているのは、言葉の役割についての名言であった。発端は、鎌倉・瑞泉寺の修行場の「不立文字」であった。 【「うまく言葉を使いこなせない、思っていることと言いたいことが一致しないのはなぜ」という質問に対して】もともとそういうものを表すものじゃないんでしょ、言葉というのは。「あっちに牛がいる」、「狼がいる」、そういう情報を伝達するための道具であって、それがどんどん時代が過ぎると自分の言い分を言うのに変わっていく。それはもともとの言葉の使い方じゃない。料理が典型だけど、けっきょく「美味い」としか言えない。どのくらい、どういうふうに美味いかは本人じゃないと分からない。自分の考えていること、感じていることを言葉は最終的に表現できない。「苦しそうだな」とは思うけど、どのくらい、どんなとかは分からない。【長谷川により一部改変】以上の語りには、行動分析学的にみていくつか重要な論点が含まれているように思う。
いずれ「春を歩く」、「春を思う」、「秋を漂う」など、私が録画できていない回の再放送があれば、また感想を述べさせていただこうと思う。 |