Copyright(C)長谷川芳典 |
|
11月28日(日)の岡山はこの冬一番の冷え込みとなり最低気温は0.8℃まで下がった。平年値では12月30日頃の寒さ。 写真は、半田山植物園のパラグアイオオオニバス。この寒さでほぼ枯れてしまった。このオオオニバスは一年生草本なので、すでに種は採取されており、来年はまた実生から育てられる。 |
【連載】瞑想でたどる仏教(6)戒律 11月26日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、 ●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する の備忘録と感想・考察。 第2回の放送では、ブッダとその弟子5人と「サンガ」を作った。サンガは仏教における最初の出家集団であり、カースト制度から離れた存在であった。ブッダの死後、弟子たちは各地で教えを説いてまわり、サンガは大きく広がっていった。その中で重要な役割を果たしたのが「戒律」であるという。 戒律が生まれた社会的背景としては、出家集団は自分たちで生産活動をすることができない点にあった。在家からお布施をもらって生活していくためには、社会的に非難されるような行動は慎まなければならなかった。梵網経によれば、戒律は、小戒、中戒、大戒に分けられており、
戒律はもともと、シーラ(戒)と呼ばれており、本来の意味は「習慣」、すなわち「日常的な習慣としてよい習慣を身につける環境を整えていく」という意味であったという。「戒律」の「律」というのは他者から強制的に押しつけられた「ルール」というニュアンスがあるが、「戒」のほうは、強制ではなく自ら進んで身につけた「ルーティン」というニュアンスがある。それを身につけることで修行がしやすくなるという経験則のような側面があった。 ブッダは「心身を整えていくためには環境をしっかりと整えていくことが大事」であると『ダンマパダ』(『法句経』(ほっくぎょう)の中で述べているという。修行僧と題された章の一節には、瞑想を行うための環境として、「眼について慎むのは善い」、「耳について慎むのは善い」、....「あらゆることについて慎むのは善いことである。修行僧はあらゆることがらについて慎み、すべての苦しみから脱れる」【中村元訳】と記されている。要するに、感覚器官から受け止めるものを予め遠ざけておくことを説いたものだ。例えばお酒が大好きな人の場合は、一升瓶やボトルを遠ざけておくことが大切。前回取り上げた「戯論」(心の拡張期の)は自然に備わったものであり、その働きによって何かを見ると、さまざまな反応が派生する。その出発点を遠ざけておけばそこからの派生も少ない。というようなことで人里離れた場所が修行の場として選ばれた。 在家の人の場合は、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)が守るべきとされていたが、全部を守らなければならないというわけではなく、分戒という考え方もあるという。 ここからは私の感想・考察。仏教というと、すべての苦しみの原因は「心」にある、どういう環境に陥っても、心の持ち方次第で苦しみから逃れられるというというように思われがちであるが、実際にはまず環境を整えることから始めるという点で、環境との関わりを重視する行動分析学の発想とよく似ているところがあるように思われた。 私自身は「戒律」なるものを守っているわけではないが、日々の規則的な生活、また、人混みを避ける、娯楽番組は殆ど視ない、酒は一切飲まないといった習慣は、けっこう修行僧に似ているところがあるかもしれないように思う。私の日常習慣は別段強制されたものではなくて、そのように生活することで、結果的に日々の行動がうまく循環しているゆえにそれを続けているだけの自発的な行為の連鎖と言える。 不定期ながら次回に続く。 |