Copyright(C)長谷川芳典 |
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農学部構内に、11月下旬から12月上旬に見頃となる白い花があり、ギンモクセイの特別の品種ではないかと思っていたが、久しぶりに見に行ったところ、「ヒイラギ」という名札がつけられていることに気づいた。ヒイラギはとげ状の鋸歯を持つのに対してこの樹木は縁が丸くなっているのでギンモクセイだと思っていたが、ウィキペディアによれば、
若樹のうちは葉の棘が多いが、老樹になると葉の刺は次第に少なくなり、縁は丸くなって先端だけに棘をもつようになる。と記されており、実際、同じ幹から伸びている若い枝には鋸歯の葉っぱがついていることが確認できた。このほか、ヒイラギとギンモクセイの雑種のヒイラギモクセイがあり、「ヒイラギより表面の光沢は少ない。葉脈の主脈は葉の裏面で突出する。」という特徴が記されているが、並べて比較しない限りは区別が難しそう。 |
【連載】瞑想でたどる仏教(8)智恵と慈悲と心理療法 11月30日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、 ●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する の備忘録と感想・考察。 第2回の終わりのところでは、「苦しみの解放から慈悲へ」と題して、苦しみから解放されて智恵を得たらそれで完成になるのか、そのあとどうあるべきか、について説明された。 スッタニパータには、究極の理想に通じた人が次になすべきことが記されており、生きとし生けるものに対して、安穏であれ、幸せであれ、という慈悲の気持ちを持つことが大切であると説かれているという。自分自身が幸せになることを念願するばかりでなく、他者に対して、いま現在だけでなく、それも未来に生まれてくる人たちに対しても振り向けなければならない。 慈悲の由来については仏教研究者によって、元々存在していたものなのか、修行を通じて得られたものなのかというように見解が分かれているが、蓑輪先生は、東日本大震災の時の人々の支援行動を例にとり、私たちは本来的に他者に対する慈しみの気持ちを持っている、但し日常的には目立たず忘れられがちであるが、何か危機的な状況があった時に意識されるものであると述べておられた。 智恵と慈悲は仏教にとって大切な二本柱であり、智恵は瞑想によって得られる気づき、名色の分離や縁起の発見なども含まれるが、ブッダが弟子たちに最初に説いた「四諦八正道」にはすでに慈悲の要素が感じられるという。じっさい、八正道の中には、怒りの気持ちを持たない、相手を傷つけない」といった慈悲の要素があり、また四諦には、
ここからは私の感想・考察になるが、以上に説明された「智恵と慈悲の二本柱」という考え方は、仏教という1つの宗教と、心理療法の違いを区別する上での目安になるかもしれない。 心理療法は、
不定期ながら次回に続く。 |