じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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12月6日に続いて「京山皆既日食現象」の写真。12月8日の夕刻にはよく晴れ、旧・京山タワーと夕日が重なる様子を撮影することができた。太陽が明るすぎて、旧・京山タワーの影がはっきり写らなくなった。写真下は、日没直後の写真。


2021年12月09日(木)



【連載】瞑想でたどる仏教(13)安世高、老荘思想

 昨日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、

●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する

の備忘録と感想・考察。本日から第4回に入る。

 第4回は、インドで始まった仏教が中国の文化や歴史に影響されて存在の形態を少しずつ変えていった、という話題が取り上げられた、じっさい、日本の仏教は、ほぼ中国仏教から継承されているという。

 2500年前にインドで生まれた仏教は、1世紀半ば頃に中国に伝えられた。もともとブッダが始めた瞑想は、悩みや苦しみから逃れる道を探してたどり着いたものであり、初期の仏典では「念処」(ある対象に注意を振り向けしっかりと把握すること。みずからの認識の仕組みを把握し、心が勝手に苦しみを生み出したり増幅させたりしないようにする)という言葉で表されていた。こうした瞑想は、静かな場所で一人で集中して行うものとされていた。それが中国に入ると、経典の文章を歌うように読むことで1つのことに専心するという形に変化した。

 仏教が伝わる前の中国には、諸子百家と呼ばれるようにさまざまな思想家や集団があったが、その中でも大きな流れとしては、儒教と老荘思想があった。

 儒教の中に伝わる『四書五経』の1つ『詩経』に出てくる話には、今生きている世界の身の回りにあるものを使って楽しまなければ、死んだら他人のものになってしまうというような記述がある。要するに、過度な享楽は戒めるが、現実の世界を大事にして、今を楽しむことを大事にしようという考え方であった。南北朝自体の『理惑論』の中にも、当時の仏教の修行者たちの行いを「それがいったい何になるんだろう」と批判した記述があったという。

 こうした仏教が、中国の三大宗教の1つと言われるまでに大きく広まったのには、3人のキーパーソンの貢献があった。

 最初に挙げられた安世高は、インドから伝わった経典を中国語に翻訳した。その中の1つ『安般守意経(あんぱんしゅいきょう)』の「安般」とは「入る息、出る息」という意味であり、「守意」というのは「心を1つのものにとどめる」という意味でありブッダの瞑想「念処」の翻訳であるという。この「守意」は、老荘思想で大切にされている「守一(しゅいつ)」を連想させるものであり、中国では受け入れられやすくなった。中国伝統の老荘思想には「道(タオ)」と呼ばれる理念がある。道は、姿形が無く絶対的なものとされる。道を守ること、「守一」を重んじていた中国の人々に対して、「守意」は仏教定着の足がかりになったという。

 儒教のほうは現実世界の人間関係を大事にした処世術、政治思想であるが、戦乱が起こればすべて破壊されてしまう。これに対して老荘思想は「根源的な何か」という普遍的なものが追求された。

 インドで生まれた仏教が、戒律を重視し禁欲的な修行を重んじるようになったのは、中国の儒教の影響を受けたからであると聞いたことがある。しかし、今回の番組によれば、中国では、仏教は儒教よりも老荘思想に結びついていたとのことであり、少々意外なところがあった。

 不定期ながら次回に続く。