じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 1月2日の「書き初め」。子どもたちが小さかった頃は毎年1月2日の恒例行事であったが、ここ数十年はご無沙汰していた。書道の練習はもとより、筆記用具を使って文字を書く機会すら全く無いが、最初から下手なので、これ以上下手になることは無さそう。なお、後ろの「積善家有余慶」は義父が生前に書いたもの。

2022年1月03日(月)



【連載】瞑想でたどる仏教(17)日本の仏教と瞑想

 昨日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、

●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する 第5回「日本仏教の誕生」

のメモと考察。

 タイトルの通り、上記の放送では、日本仏教の一般的な歴史ではなく、あくまで「瞑想からたどる」という観点からの変遷が取り上げられていた。

 まず冒頭では、天台宗と真言宗の瞑想が紹介された。
 天台宗の瞑想としては今でも比叡山延暦寺で行われている「常行三昧」が取り上げられていた。修行僧は仏の名前を唱えながらゆっくりと堂内を歩き、動作や声、呼吸に注意を振り向けるという。この修行では90日間、横になることも許されないという。
 いっぽう、空海が伝えた密教では、言葉で表現できない仏の教えを体験を通じて伝承。番組では「阿字観(あじかん)」と呼ばれる瞑想が紹介されていた。観察の対象は梵字の「阿」に相当する文字であり、これを目の前に掲げて座り瞑想する。「阿」は全てのものの源を表す梵字であり、大日如来(=真言宗の本尊)を象徴する文字であるという。「阿」は、赤ちゃんが生まれてきたときに最初に出す言葉、すなわち息を吸ってあーあーと泣くような声が「阿」となる。「「阿」という文字に象徴される仏様と自分自身が一体であるというのを観じて頂く瞑想法である」と説明された。

 さて、鎌倉仏教の主な宗派では、瞑想は次のように特徴づけられるという。
  • 浄土宗:専修念仏 ひたすらに「南無阿弥陀仏」と念仏せよ。
  • 浄土真宗:絶対他力 阿弥陀様への「信心」を重視
  • 曹洞宗:座禅 只管打坐
  • 臨済宗:座禅 曹洞宗と異なる「公安・看話禅」が組み込まれる
  • 日蓮宗:唱題 「南無妙法蓮華経」を唱えよ。
このような多様化の中で、宗派間の対立も生じるようになったが、蓑輪先生によれば、「行」=瞑想(身心の観察)の部分に立ち返って考えていけば対立は乗り越えられるとのことであった。「行」による身心の観察は、何か1つのものに専心していく、いろいろなものを観ていく、という2つに分かれるが、鎌倉時代の祖師の教えの中にもそれらを見いだすことができる。ブッダは、「飛んできた矢が直接引き起こす体の感覚」と、そこから戯論の拡張機能によって派生する怒りや悲しみ(第二の矢)を分離し、この戯論を瞑想によって抑え、悩みや苦しみから逃れる方法を発見した。ブッダの瞑想は、鎌倉時代の仏教も各宗派の行の中で実践されているという。


次回に続く。