じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 備前富士(芥子山)の頂上から太陽が昇る「ダイヤモンド備前富士現象」が始まった。なお元祖のダイヤモンド富士は、太陽の高度がかなり高い時点で富士山頂上から日が射すためより強い輝きが見られる。「ダイヤモンド備前富士現象」のほうは、備前富士の標高が低いため、日の出の位置が頂上と一致するという以外には特に変わったところはなく、日の出の明るさは他の日と大差ない。

2022年2月21日(月)



【小さな話題】サイエンスzero「人類が絶滅の危機!?“中性化”と生殖の未来」(2)中性化の原因と性のグラデーション

 昨日に続いて、2月13日に初回放送されたNHKサイエンスzero:

「人類が絶滅の危機!?“中性化”と生殖の未来」

の感想・考察。

 放送では続いて、男性の中性化の原因についていくつかの可能性が指摘された。

 その1つは、飽食と運動不足がもたらす肥満である。2006年に発表された日本の研究論文によれば、40歳代から70歳代の男性のうち、BMIが低い人たちのテストステロンは300pol/Lであったのに対して、BMI標準レベルでは250、BMIが高い人たちでは180というように、BMI(肥満度)が高いほどテストステロンが少なく中性化が進んでいることが分かった。肥満の人の脂肪組織にはアロマターゼという酵素が含まれており、テストステロンがその酵素に触れるとエストロゲン(女性ホルモン)に変化してしまう。これにより心も体も中性化が進むと説明された。また、筋肉が出す物質が精巣に働きかけるとより多くのテストステロンが放出されるが、運動不足で筋肉が減るとそのぶん中性化が進む。

 続いて紹介されたゲトラー博士(ノートルダム大学)の研究によれば、育児を行う時間が長い父親ほどテストステロンの量が減少するという。じっさい、京大と麻布大の協力のもとで番組が行った実験によれば、自分の赤ちゃんと15分間触れあった2人の父親のテストステロンは、33%または42%まで減少した。現代社会では、育休をとるなど、男性が育児に参加する機会が増えており、このことが一部の男性の中性化を進めている可能性がある。

 次に紹介されたのは女性の中性化に関する研究である。その研究では、実験参加者は、部下を持つ上司の役を演じた。テストステロンの量は、実験前を100とすると、実験後は男性参加者では103で殆ど変化が無かったのに対して、女性参加者では130というように大幅に増加した。社会的に高い立場になる機会が増えることで女性の中性化が進む可能性が示唆された。

 菊水先生によれば、このほか、パワーポイジング(腕組みをするなど、力を誇示するポーズ)を2分間とるだけで、男女ともテストステロンの量が増えるという結果も報告されているという。

 ここからは私の感想・考察になるが、まず男性の肥満化については中性化がどうこうであると言う前にメタボリックシンドロームの問題があり、ダイエットや筋トレに励む必要があると思われる。
 次の父親の育児参加であるが、赤ちゃんを抱くことによる短時間のテストステロン減少が、その男性の長期的な中性化をもたらすかどうかは何とも言えないように思う。育児にもいろいろな段階があるが、おむつの取り替えとか授乳に関わる期間は限られており、その期間にテストステロンが減少しても、その後に復旧すれば中性化には繋がらないような気もする。

 女性の社会参加については現代の常識であり、それによって女性の中性化が進んだとしても中性化を理由に昔に戻すことはできない。妊娠から出産、産後、育児という時期にその女性の地位や収入が失われないよう、社会参加を支援していく体制を整える必要があるだろう。




 以上の放送内容について菊水先生は、
性はグラデーションがあって、すごく男性的な方もいれば中性的な男性もいるし、中性的な女性もいてすごく女性的な人もいる。自分の中でも社会の中でも性は多様である。性の多様性に関して社会的認知が高まっているが、例えば、自分が異性が好きなのか同性が好きなのかに関わる神経細胞であったり、自分が男性なんだとか女性なんだという性自認に関わる脳の場所も、テストステロンによって変化することが分かってきている。
は述べておられたが、個々人における性の多様性の受容と、社会全体における中性化の問題は分けて考える必要があるだろう。中性化が非婚や少子化をもたらすとすると、番組タイトルの通り、まさに人類絶滅の危機ということになる。あと、テストステロンの影響で中性的な男性や女性がいたときに、その状態をそっくりそのまま受容するのがよいか、それともその量を医療的な支援のもとで人為的に変えることで脱中性化をめざしたほうがよいのか、という議論もある。よく「ありのままの自分」と言われることがあるが、「ありのまま」というのは単に自分の置かれている環境条件をそっくり受け入れた状態のことを言うのであって、環境を変えればそのぶん「ありのまま」の中身も変わってくる。現状を無批判に固定した「ありのままの自分」は、現状をいろいろに変えた時に生まれる色々な自分の可能性の1つに過ぎないのであって、ありのままだからそれが「本来」の自分だと考えるのは間違っていると思う。

次回に続く。