じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 岡大構内では、ソメイヨシノがほぼ落花したが、代わってオオシマザクラが見頃となってきた。オオシマザクラが散ることには各種の八重桜(里桜)が見頃となる。

2022年4月10日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「キャンプのカレーと少年自然の家」「テレビが映るしくみ」

 4月8日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
  1. キャンプでカレーを作るのはなぜ?
  2. テレビはなぜ映る?
  3. カレンダーに「大安」や「仏滅」が書かれているのはなぜ?
  4. 揺るぎないこだわり
という4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.と2.について考察する。

 まず1.の「キャンプのカレー」だが、放送では「男女の仲を深め「健全な夫婦」にするため」と説明された。第二次大戦後、GHQによる男女平等政策の一環として、青少年男女のキャンプが推奨された。また各地に青年の家が作られ、合宿体験の1つとして野外調理が行われたが、その際に推奨されたのがカレーであったという。当時はまだカレーは特別な洋食であったため青少年に興味を持ってもらいやすい料理であったこと、また、皮むきなどの調理工程が多く会話が生まれやすいためであると説明された。

 もっともこの話題についてはかなり疑問が残る。まずそもそも、キャンプでカレーがどの程度調理されているのか、データが示されていない。子どもたちが小さいころには近隣のキャンプ場やコテージを何度も利用したが、メインはバーベキューであって、カレーを作ることは一度も無かった。他のキャンパーたちも同様であったと思う。
 カレーを調理するのはむしろ、小中学生などが「青少年自然の家」などで合宿研修をする際に限られているのではないか、そのことに限定するならば、番組の説明も納得できる。

 なお、放送では「青年男女がキャンプで仲を深める。これらのことが健全な夫婦を作る、とGHQは考えていた。」に続いて「これらのことを受けて文部省が中心となってある施設を作りました。それが青年の家...」と説明されていたが、これは少々時代がズレているように思う。放送によれば、1967年の文部省社会教育局『社会教育における純潔教育の概況』には「青少年団体が行なう各種の集会、旅行、キャンプ、レクリエーションなどを通じて、男女の特性が理解され、男女交際のあり方が自ら身につく」と書かれており、青年の家にキャンピング日程には、自然研究、野外調理、ハイキングが含まれていたということであるが、1960年代は日本はすでに独立しており、GHQの意向を受けて教育政策が進められるということは無かったはずである。
 放送では「青年の家」という呼称が使われていたが、ウィキペディアでは、
少年自然の家(しょうねんしぜんのいえ)は、青少年のための社会教育施設。もともとは義務教育の諸学校に在籍している少年対象であったが、一部その上の年齢層も含めて青少年自然の家、青少年交流の家、青年の家と称している施設もある。
というように「少年自然の家」が代表的な呼称になっている。また建設の経緯については
日本国内では1970年以降、政府が積極的に国庫補助金を支出して国や地方自治体で設置された。独立行政法人国立少年自然の家が運営していた国立の施設は、2006年、独立行政法人国立青少年教育振興機構への統合を機に、すべて「国立○○青少年自然の家」の名称に統一された。各地方自治体の少年自然の家については、指定管理者を導入する施設が増えている。

 なので、私自身が小中学生の頃(1959年〜1968年頃)にはまだそのような施設は造られていなかった。いっぽう、私の子どもたちが小学生の頃には、学校行事の仲に国立吉備青少年自然の家や、岡山市立少年自然の家での宿泊研修が含まれていた。
 ということで元の話題の「キャンプでカレーを作るのはなぜ?」は不正確な設定であり、正しくは「青少年宿泊研修施設の野外調理でカレーが作られることが多いのはなぜ?」とするべきであったように思う。




 続く2.の「テレビが映るしくみ」だが、私のような古い世代では、「電子銃から発射された電子ビームによって、表面に配置された蛍光面を光らせ画像を映し出す」というブラウン管型テレビが真っ先に浮かんでしまい、昨今の薄型テレビのしくみについてはあまり深く考えたことが無かった。
 放送では「テレビが映るのは、写すものを200万個の赤緑にして、明るくしたり暗くしたり手を抜いたりしているから」と説明された。テレビが映るには、撮影、伝送、表示というように少なくとも3つの段階がある。
  1. まず撮影の段階では、被写体の光は、RGB(赤緑)の3色の強さを示す電気信号に変えられる。
  2. その信号は電波塔を経由して家庭に送られる。
  3. 表示のしくみはディスプレイの種類によって異なるが、液晶ディスプレイの場合は、バックライトから照らされる光が液晶層、カラーフィルターを通って表面に到達する。そのさい(ハイビジョンで)200万個の液晶層のマス目で、それぞれのRGBの強さや割合が調整され、特定の色が表現される。
ということであった。
 動画を1秒流すには約15億個の電気信号が必要となるが、実際にそんなに多くの信号を送ることはできない。そこで手抜き(=圧縮)の技術が使われ、15億個の信号を1500万個まで減らす工夫が採用されている。動画の場合は、動いている部分と動いていない背景等に分かれるが、動いていない部分では一度送った画像情報が使い回されている。実際のチコちゃんの動画で、背景等の殆どの部分が使い回されていることが実感できた。現在の地デジでは完全な画像は0.5秒に1回だけしか送られず、15億個の電気信号はおよそ100分の1に圧縮されて送られているということであった。

 ここからは私の感想・考察になるが、静止画(jpegなど)や動画(mp4など)の圧縮技術については以前にも聞いたことがあった【参考情報】。動画の圧縮については、mp4のほか、デジカメで撮るとmovになったり、他にもいろいろあってビデオ編集の際に手間がかかることがあるが、古いファイル形式の動画でも簡単に変換できるので困ったことはあまり無い。このほか、テレビ番組の録画では「averec」にお世話になっている。

 ということで、放送ではもっぱら、色の表示のしくみと、動画圧縮の技術が紹介されていたが、テレビが映るしくみを語るには、これだけでは不十分であるように思われる。

 まず、あらゆる色がなぜRGBで表現できるのかということは、人間の目の特性に依存している。色は網膜レベルでRGBという3種の受容器の興奮の度合いによって決まるため(但し、色の見え方には個体差がある)、本当はいろんな波長の光が同時に目に飛び込んでいたとしても、結局はRGBそれぞれの値に集約されてしまうのである。例えば、赤と緑の光はあくまで2種類の波長の光として独立しているはずだが、人間の目では、黄色の波長の光が届いた時とおなじように受容器が興奮してしまうので黄色の波長として処理されてしまうのである。
 あと、モノが動いて見えるのも目や脳の働きに依存している。もともと、電光表示板などの文字は、1つ1つのLEDがついたり消えたりしているだけであるが、実際には文字が動いているように見える。また錯視画像で知られているように、静止画像が動いて見えることもある。

 次回に続く。