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【連載】チコちゃんに叱られる!「ジグソーパズル」 4月22日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
放送によれば、ジグソーパズルは、300年近く前にイギリス人の製図士ジョン・スピルズベリーが地図をパズルにして売り出したのが始まりとされている。当時のイギリスは大英帝国とも呼ばれるように世界各地に植民地を持っており、貴族は子どもたちに早くから世界の地理を覚えさせていた。当時の値段は今の価格で10万円以上で庶民には手の届かないものだったが、スピルズベリーは、海をなくし陸地だけのジグソーパズルも作ることで木材の量を減らして3分の1の価格をした。その後19世紀になると材料が木から紙に変わり、ピースの数も増えるなどゲーム性が高くなって世界中に広まっていったという。なお、ジグソーパズルの最初の発明者は文筆家・教育関係の書籍を作っていたボーモン夫人という説もある。 もともとのジグソーパズルは、ちょっと動かしただけでズレてしまう形になっていたが、その後、いったんはめ込むと簡単に離れないような凹凸の形になった。 日本にジグソーパズルが輸入されるようになったのは1970年代とされており、大流行が巻き起こったという。その理由は、1974年に東京国立博物館で「モナリザ展」が開催されおよそ150万人が詰めかけるなど社会現象となった。そこで日本のおもちゃメーカーがモナリザのジグソーパズルを輸入、5日で2万個が売れる大ヒットになった。 放送では、プレス機でジグソーパズルを作る工程のほか、世界地図のジグソーパズルを完成させることで本当に国名を覚えられるのかという実験(被験者はディレクター1名)も行われたが、国名の記憶には全く役に立たず、パズル開始前に「国名記入数73カ国、正解数46カ国」であったものが「正解数42カ国」に減少した。 ここからは私の感想・考察になるが、まず、ジグソーパズルが日本に広まったのが1970年代であるというのは意外であった。もっと古くから流通していたのではないかと思っていたが、確かに私が子どものの頃にはそのようなおもちゃは全く無かった。また1970年代には、教育玩具としてではなく、大人の趣味の対象であり完成品をフレームに入れて鑑賞するというタイプが先に売り出されていたように思う。 1980年代半ば以降には子ども向けのジグソーパズルも多数売り出され、私も、子どもたちのためにいろいろなパズルを購入したことがあった。主なものとしては、
ジグソーパズルは形を組み合わせて完成させるものだが、試行錯誤で組み合わせる作業が多く、頭の中で図形を回転させてからはめ込むという操作は必ずしも必要としない。知的作業であるように見えるが、知的発達をどの程度促進するのかは何とも言えないように思う。2〜24ピース前後幼児向けはそれなりに効果があると思うが、何百、何千ものピースに取り組んだからといって、知的発達が進むとは思えない。ま、忍耐力がつくことは確かだろうが。 また、パズルを完成させる時には、絵を手がかりにする場合と、形を手がかりにする場合があるが、形の回転操作を身につける目的であるなら、何も描かれていない白紙のジグソーパズルのほうが有効であるはずだ。もっとも子どもがそういう白紙パズルで面白がって遊ぶかどうかは不明。 もう1つ、放送では、世界地図のジグソーパズルを完成させることが国名の記憶に繋がるかという「実験」が行われていたが、パズルの完成のための手がかりとして国名が利用されていない以上、そのような学習効果があるとは到底予想できない。なお、私自身は、アフリカ西部、太平洋の島国、中米の3地域以外であれば、それぞれの地域の国名はほぼ100%正答できる自身がある。国名を覚える最も簡単な方法は、とにかくその国を旅行することである。アドリア海沿岸6か国なども、旅行前は全く国名を記憶できなかったが、順番に巡ることで完璧に覚えることができた。中央アジアや中東諸国も同様。東欧諸国は一度も訪れたことが無いが、最近のウクライナ問題で、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバなどの位置関係が記憶に残るようになった。 次回に続く。 |