じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 妻の実家に孫たちが到着し、家の中が一気に賑やかになった。なお遊んでいるレゴは30年前に子どもたちのために買ったものであり、二世代にわたる利用となる。

2022年5月01日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「私は」と「私わ」

 4月30日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
  1. なんで「私は」は「は」と書いて「わ」というの?
  2. 七福神ってなに?
  3. なんでネコの目は暗闇で光るの?
  4. みゆきちゃんに叱られた「役不足」と「力不足」
という4つの話題が取り上げられた。本日は、このうち1.について考察する。放送では、「私は」は、「「私は」は「私ぱ」だったから」と説明された。放送によれば、
  1. もともと日本では奈良時代までは「はひふへほ」という音は存在せず、代わりに「ぱぴぷぺぽ」と発音していた。そのことは、奈良時代以前に充てられた漢字が「波比不部保」であり、中国語の当時の発音が「ぱぴぷぺぽ」に近いことから類推できる。
  2. 平安時代の終わりになると、「ぱぴぷぺぽ」の発音は「ふぁふぃふふぇふぉ」に変化した。これは、戦国時代の日本を紹介する本で「にほん」が「NIFON」と表記されていたことから類推できる。
  3. その後、少しでもエネルギーを減らそうとする発音行動の変化の法則により「ふぁ」は楽な発音である「は」と「わ」に分化していった。
    • このうち言葉の頭が「は」の場合は「ふぁし(箸)→はし」、「ふぁっぱ(葉っぱ)→はっぱ」というように「は」に変化。
    • 助詞の「は」や、語中・語尾の「は」は「わ」に変化。「私は」は発音上は「私わ」、「かは(川)」は「かわ」。
  4. 戦前の国語の教科書では、「斧」を「をの」、お菓子を「おくゎし」、「どうでしょう」を「どうでせう」 というように、発音通りではなく、昔ながらのひらがな表記で書くように指導されていた。
  5. 戦後の1946年、吉田内閣のもとで「現代かなづかい」が定められ、殆どの表記は発音通りに変えられたが、「私は」は平安後期から昭和前半にいたるまでずっと「私は」となっていたので、「いまさら『私わ』に変えたら混乱が起きる」という理由でそのまま「私は」になった。

 放送では、かつて「母」が「ぱぱ」と発音されていたという話も紹介されたが、これは昔のなぞなぞで「父には一度も会わず、母には二度会うものってなあに?」というのがある(正解は唇)、という形で何度か耳にしたことがあった。

 ここからは私の考えになるが、「ぱぴぷぺぽ」が「ふぁふぃふふぇふぉ」、さらに「はひふへほ」と「わいうえを(わゐうゑを?)」に変化した原因が、発音の際に少しでもエネルギーを減らそうとする法則によるものだということは興味深い。しかし、日本語以外では「papipupepo」や「fafifufefo」の発音がそのまま残っている言語もたくさんあり、なぜ日本語だけがそのように変化していったのかについてはもう少し説明が必要であるように思われる。じっさい日本語は同音異義語が多く、これは漢字由来の音読みばかりでなく、訓読みの場合にも起こっている【例えば、「桜餅は、かわをむいて食べなさい」は「皮を剥いて食べなさい」とも「川を向いて食べなさい」というどちらの意味にもなる】。おそらく、和歌などで同音異義語をひっかけて楽しむ文化があったためと、日本語は文脈に基づいてコミュニケーションをとる言語であるゆえに大概の同音異義語は文脈の違いで区別できるため、と考えられる。

 ところで、現代の日本語では、外来語は別とすれば「ふぁふぃふぇふぉ」の発音は存在しないし、ローマ字で「fafifufefo」と「hahihuheho」と記される発音が区別されることがない。いっぽう、半濁音はオリジナルの日本語の発音に残っているようである。但し大部分は、連濁によるものと考えられる(「一般」、「一品」、「一分」、「一辺」、「一本」など)。但し、擬態語では、清音と半濁音と濁音でまったく意味が変わってくる。
  • 「はらはら」、「ぱらぱら」、「ばらばら」
  • 「ぱりぱり」、「ばりばり」
  • 「ひりひり」、「ぴりぴり」、「びりびり」
  • 「ふかふか」、「ぷかぷか」、「ぶかぶか」
  • 「ぷるぷる」、「ぶるぶる」
  • 「へらへら」、「ぺらぺら」、「べらべら」
  • 「へろへろ」、「ぺろぺろ」
  • 「ほかほか」、「ぽかぽか」
  • 「ぽりぽり」、「ぼりぼり」
  • 「ほろほろ」、「ぽろぽろ」、「ぼろぼろ」


 次回に続く。