Copyright(C)長谷川芳典 |
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妻の実家に孫たちが到着し、家の中が一気に賑やかになった。なお遊んでいるレゴは30年前に子どもたちのために買ったものであり、二世代にわたる利用となる。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「私は」と「私わ」 4月30日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
放送では、かつて「母」が「ぱぱ」と発音されていたという話も紹介されたが、これは昔のなぞなぞで「父には一度も会わず、母には二度会うものってなあに?」というのがある(正解は唇)、という形で何度か耳にしたことがあった。 ここからは私の考えになるが、「ぱぴぷぺぽ」が「ふぁふぃふふぇふぉ」、さらに「はひふへほ」と「わいうえを(わゐうゑを?)」に変化した原因が、発音の際に少しでもエネルギーを減らそうとする法則によるものだということは興味深い。しかし、日本語以外では「papipupepo」や「fafifufefo」の発音がそのまま残っている言語もたくさんあり、なぜ日本語だけがそのように変化していったのかについてはもう少し説明が必要であるように思われる。じっさい日本語は同音異義語が多く、これは漢字由来の音読みばかりでなく、訓読みの場合にも起こっている【例えば、「桜餅は、かわをむいて食べなさい」は「皮を剥いて食べなさい」とも「川を向いて食べなさい」というどちらの意味にもなる】。おそらく、和歌などで同音異義語をひっかけて楽しむ文化があったためと、日本語は文脈に基づいてコミュニケーションをとる言語であるゆえに大概の同音異義語は文脈の違いで区別できるため、と考えられる。 ところで、現代の日本語では、外来語は別とすれば「ふぁふぃふぇふぉ」の発音は存在しないし、ローマ字で「fafifufefo」と「hahihuheho」と記される発音が区別されることがない。いっぽう、半濁音はオリジナルの日本語の発音に残っているようである。但し大部分は、連濁によるものと考えられる(「一般」、「一品」、「一分」、「一辺」、「一本」など)。但し、擬態語では、清音と半濁音と濁音でまったく意味が変わってくる。
次回に続く。 |