Copyright(C)長谷川芳典 |
|
Firefoxで閲覧しているNHK+のトップ画面に「Firefoxでの利用は従来から推奨しておりませんが、5月23日以降に実施予定のアップデートによって、動画が完全に再生できなくなります。Microsoft Edge・Google Chrome・Safariをご利用ください。」という表示が出るようになった。「よくある質問への回答として「Internet Explorer(インターネット・エクスプローラー) はなぜ利用できないのですか?」というのはあるが、「Firefoxはなぜ利用できないのですか?」に対する回答は用意されておらず、なぜFirefoxを除外するのかは分からない。おそらく、利用者が少ないため、余計な技術的コストをかけたくないためであろう。 2月12日の日記にも記したように、私はメインのブラウザとしてFirefoxを使っている。一番の理由は、自社ブラウザへの誘導が露骨なMicrosoftのEdgeやGoogleのChromeに反発しているためである【じっさい、新たにWindowsパソコンを買った時などに、EdgeのブラウザからChromeをダウンロードしようとすると、画面の上部に、「新しい Web ブラウザーをダウンロードする必要はありません。」というプロモーション広告が出る。これをどう受け止めるのかは人それぞれだと思うが、私自身はそれを見ただけで余計なお節介だと反発してしまう。】 少し古いがこちらの資料によれば、Webブラウザシェアランキング(2021年6月、日本国内)は、「1位 Chrome 91.0:34.81%」、「2位 Edge 91:15.93%」などとなっていて、Firefoxの利用者は第7位の4.27%となっている。世界全体でも同様であり、「1位 Chrome 91.0:46.41%」、「2位 Chrome 90.0:8.22%」、「3位 Edge 91: 7.59%」などとなっていて、Firefoxの利用者は第5位の4.57%にとどまっている。 さらに最近では、銀行、オンライン確定申告などでFirefoxを締め出す動きがあり、Firefox愛用者としてはまことに残念。 |
【小さな話題】『100日の郎君様』 BS-TBSで放送していた表記のドラマ【2018年9月10日〜10月30日、韓国tvN。オリジナル全16話を全20話に分割】が5月13日で最終回となった。 私は、ふだんはテレビの連続ドラマを観ないことにしており、最初から最後までしっかり観たのは、2020年7〜8月に放送された『大江戸もののけ物語』、韓流では2016年8〜9月に放送された『モダンファーマー』以来であったと記憶している【アニメを除く】。 今回のドラマは、もともと、3月〜4月頃に地上波(テレビせとうち)で放送されていた時に妻が観ており、その時には私自身は多少興味を持った程度であった。ところが、それが最終回を迎えたと思ったら、今度はBS-TBSでまたまた放送を開始。そこで、ストーリー上のいくつかの疑問点を解決するために第1話からしっかりと観ることとなり、久しぶりにハマってしまった。もっとも、『冬のソナタ』、『屋根部屋のプリンス』、『私の心が聞こえる?』といった名作に比べると、盛り上がりに欠けるようにも思えた。 まず、記憶喪失の扱いである。記憶喪失は韓流ドラマお得意のネタであり、冬ソナでは、ミニョン(チュンサン)が高校時代の記憶を取り戻す過程、またミニョンが実はチュンサンであるということにユジンが気づく場面が感動的に描かれているのに対して、今回の『100日の郎君様』では、それほど感動的な場面はない。それと、ホンシムの側から見た時、ウォンドゥクが世子だと分かった時点で、子ども時代に結婚を申し込まれたイ・ユルと同一人物であることに自動的に気づくはずなのだが、かなり後になるまでホンシムはそのことに気づかず、世子から「イソよ」と声をかけられたときになぜその名前を知っているのかと驚いていた。このあたりがよく分からない。 世子が突然、王宮とは全く別の世界に送り込まれるというストーリーは『屋根部屋のプリンス』と似ているところがあるのだが、屋根部屋の場合は300年後の現代社会にワープし、世子や3人の臣下たちが当初は現代社会のハイテクに戸惑いながらも、そのうちに現代に適応してそれぞれの特技を発揮するというところが面白い。郎君様の場合も、突然村社会で生活を始めるという点は似ているが、しょせん同じ時代であり、地理的にも往来ができる場所への「ワープ」であったため、カルチャーショックの度合いは限られていた。 もう1つ、上に挙げたドラマとの対比で言えば、 がうまく描かれていたと思うのだが、郎君様のドラマでは、子ども時代にイ・ユルがユン・イソに一目ぼれして衝動的に結婚を申し込んだというだけであって、その頃の交際が熱烈な恋愛と言えるものかどうかは疑わしかった。けっきょく、郎君様のラブストーリーというのは、村でウォンドゥクとして過ごした日々と世子として王宮に戻ってからの対比であって、子ども時代に何があったかどうかということは、ストーリー上は大した意味をなさないようにも思われた。 主人公の世子とホンシムが美男美女でありすぐれた演技力を持っていることや、それ以外の脇役、特に村の人たちの暖かさがうまく描かれていること、主題歌や挿入歌が魅力的であること、などのために高い人気を得ているようであるが、うーむ、ストーリー上はイマイチかなあ、と思わざるを得なかった。 あと、勧善懲悪という基準で言うと、ドラマでの一番の悪者は左議政のキム・チャオンということになるのだろうが、この時代、権力争いの中で、誰もが皆、自分や自分の一族を守り、少しでも高い地位につこうとするのは当たり前のことであって、保身のために誰かを殺したからといって直ちに悪人になるというわけでもあるまい。じっさい、イ・ユルが世子という地位につけたのは、父親のイ・ホがキム・チャオンの支援を得て王位を奪い取ったからであって、別段、民主的な方法によって世子として選出されたわけではなかった。一番の悪者とされたキム・チャオンも、死ぬ時には、一族に罪が及ばないよう、「左議政キム・チャオンの罪は左相の命をもって償ってもらう。子供たちに罪を問うことはしない。これは国王としての命令だ。」という玉璽が押された手紙(←実際はキム・チャオンが国王から受け取った玉璽つきの白紙の紙に後から書かれたもの)を世子に渡していた。 ま、そう考えてみると、勧善懲悪とかではなく、それぞれの登場人物が自分の置かれた境遇のもとで、一生懸命生きようとしたドラマということになるかと思う。 |